の物語りを続けたり。
『この梅園の前を通る毎に、必ず思ひ起すことこそあれ。君にだけ話すことなれば、必ず他人には語り伝へ給ふべからず。
『想へば早数年前となりぬ。始めて釣道に踏み入りし次の年の、三月[#「三月」に傍点]初旬なりしが、中川の鮒釣らんとて出でたりし。尺二寸[#「尺二寸」に傍点]、十二本[#「十二本」に傍点]継の竿を弄して、処々あさりたりしも、型も見ざりければ、釣り疲れしこと、一方ならず、帰らんか、尚一息試むべきかと、躊躇する折柄《おりから》、岸近く縄舟を漕ぎ過ぐるを見たり。「今捕るものは何ぞ」と尋ねしに、「鯉なり」と答ふ。「有らば売らずや」と言へば、「三四本有り」とて、舟を寄せたり。魚槽《かめ》の内を見しに、四百目|許《ばか》りなるを頭《かしら》とし、都合四本見えたりし。「これにて可し」とて、其の内最も大なるを一本買ひ取りしが、魚籃《びく》は少《ちい》さくして、素《もと》より入るべきやうも無かりければ、鰓《えら》通して露はに之を提《さ》げ、直《ただち》に帰り途に就けり。
『さて田圃道を独り帰るに、道すがら、之を見る者は、皆目送して、「鯉なり鯉なり、好き猟《りょう》なり」と、口
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