に勉むる人は、詮《せん》ずる所、鼻の下を養はん為めなるべし。彼れ悪事ならずば、心を養ふ此れ亦、元日なりとて、二日なりとて、誰に遠慮気兼すべき。さなり/\、往かう/\と、同しきことを黙想す。
 されども、想ひ返しては又心弱く、誰と誰とは必ず二日に来るかた仁《じん》にて、衣服に綺羅を飾らざれども、心の誠は赤し。殊に、故《ことさ》ら改らずして、平日の積る話を語り合ふも亦一興なり。然るを、予《われ》の留守にて、空《むな》しく還すはつれ無し。世上、年に一度の釣をも為《せ》ぬ人多し。一日二日の辛抱何か有らん。是非四日まで辛抱せんかと、兎《と》さま角《こう》さま思ひ煩ひし上句《あげく》、終に四日の方に勝たれ、力無く障子を立て、又元の座に直りぬ。
 一便毎に配達受けし、「恭賀新年」の葉書は、机上に溜りて数十百枚になりぬ。賀客の絶間に、返事書きて出さんかと、一枚づゝ繰り返し見つ。中には、暮の二十九日に届きしを先鋒として、三十日三十一日に届きしも有り。或は、旧年より、熱海の何々館に旅行中と、石版に摺りたるにて、麹町局の消印鮮かに見ゆるあり。或は新年の御題《ぎょだい》を、所謂《いわゆる》ヌーボー流に描き、五
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