遍七遍の色版を重ねて、金朱絢爛たるも有り。さて/\凝りしものかな、とは思ふものゝ、何と無く気乗りせず、返事は晩にせんと、其のまゝ揃へて、又机の上に重ぬ。
顔のほてりは未だ醒めず、書読むも懶《ものう》し、来客もがなと思へど、客も無し。障子に面して、空しく静座すれば、又四日の出遊は、岡釣《おかづり》にすべきか、船にすべきか、中川に往かんか、利根川(本名江戸川)にせんかなど、思ひ出す。これと同時に、右の手は無意識に自ら伸びて、座右の品匣《しなばこ》(釣の小道具入)を引き寄せぬ。綸巻《いとまき》を取り出しぬ。検《あらた》め見れば、鈎※[#「虫+糸」、161−下−15]《はりす》、沈《おもり》、綸など、紊《みだ》れに紊れ、処々に泥土さへ着きて、前回の出遊に、雪交りの急雨に降《あ》ひ、手の指|亀《かじか》みて自由利かず、其のまゝ引きくるめ、這々《ほうほう》の体にて戻りし時の、敗亡の跡《あと》歴然たり。
銅盥《かなだらい》に湯を取らせ、綸巻を洗ひかけしに、賀客の訪《おとな》ふ声あり。其のまゝ片隅に推しやり、手を拭ひながら之を迎へ入る。客は、時々来る年少技術家にて、白襟の下着に、市楽三枚重ね、黒|
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