(本名は江戸川)に沿ふて、小河の通ツてる処あるです。村の者が、こゝに柴漬して、莫大の鮒を捕るのですが、又、此処を狙ツてる釣師もあるです。見つけても叱らないのか、見付かツたら三年目の覚悟でやるのか、何しろ馬鹿に釣れるです。
 主『丁度今が、其処の盛りですが、どんな子供でも、三十五十釣らんものは無いです。彼処《あすこ》の釣を見ては、竿や綸鈎《いとはり》の善悪《よしあし》などを論じてるのは、馬鹿げきツてるです。
 主『葭《よし》の間を潜ツて、その小川の内に穴[#「小川の内に穴」に傍点](釣れさうな場処)を見つけ、竿のさきか何かで、氷を叩きこわし、一尺四方|許《ばか》りの穴を明けるです。そこへ、一間程の綸に鈎をつけ、蚯蚓《みみず》餌で、上からそーツとおろすです。少し中《あた》りを見て、又そーツと挙げさへすれば、屹度《きっと》五六寸のが懸ツて来るです。挙げ下げとも、枯枝、竹枝の束などに引ツかけないやうに、徐《しず》かにやるだけの辛抱で、幾らも釣れるです。彼処の釣になると、上手も下手も有ツたもんで無く、只、氷こわし棒の、長いのでも持ツてる者が、勝《かち》を取るだけですから…………。』
此の時、宛も下婢《かひ》の持ち出でゝ、膳の脇に据えたる肴《さかな》は、鮒の甘露煮と焼|沙魚《はぜ》の三杯酢なりしかば、主人は、ずツと反身になり、
『珍らしくも無いが、狂の余禄を、一つ試みて呉れ給へ。煖かいのも来たし…………。』
と、屠蘇を燗酒に改め、自らも、先づ箸を鮒の腹部につけ、黄玉《こうぎょく》の如く、蒸し粟の如き卵《こ》を抉り出しぬ。客は、杯を右手《めて》に持ちながら、身を屈めて皿中を見つめ、少し驚きしといふ風にて、
『斯ういふ大きいのが有るですか。』と問ふ。
客の此一言は、薪《たきぎ》に加へし油の如く、主人の気焔をして、更に万丈高からしめ、滔々たる釣談に包囲攻撃せられ、降伏か脱出かの、一を撰ばざるべからざる応報を被る種となりしぞ、是非なき。
 主『誰でも、此間《こないだ》釣ツたのは大きかツたといふですが、実際先日挙げたのは、尺余りあツて、随分見事でした。此れ等は、また、さう大きい方で無いです。併し、此様《こん》なのでも、二十枚[#「二十枚」に傍点]も挙げると、…………さうですね、一貫目より出ますから、魚籃《びく》の中は、中々賑かですよ。鮒は全体おとなしい魚[#「おとなしい魚」に傍点]で、た
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