虔の念を以て人生を眺めた時彼等の宗教であつた様に再び高き標準の上に立つ吾人の宗教でなければならないと――。
 人生の目的は人生それ自からである。恋愛は人生の宗教である。否独り恋愛のみならず人生のあらゆる精神的発想、創作、真理探求、美に対する歓喜、或は労働の如き一として宗教ならざるはないと云つたゲーテの言葉は万人に対して真である。これ等は人生の全体に関連してゐる程度に従つて各一つの宗教である。言葉を換へて云へばあらゆる宗教は全てを包含する調和の感情といふ宗教中に消え去るのである。その感情に対しては人生の向上は唯一の適宜なる神聖の奉仕であつて一般生活の黙示は日常の祈祷である。この礼拝は時代より時代に生命の焔を搬ぶ力に対して特に捧げられなければならないであらう。而してその礼拝が真摯にして敬虔の度を増すに従ひ各時代は前代より次第にその程度を高むるであらう。
 人類が種族を維持して行く他の方法を発見する迄は性的関係が地上に於ける生の根原であることは否むべからざる事である。故に進化論上より見たる人生観は性的関係を以て凡《あら》ゆる人生の進歩に対する出発点と見做さなければならない。而して人生の発達進歩に対する種々なる要求と性の道徳的観念を調和せしめ、性の全王国に神聖の気を充溢させ以て再び崇拝の対象とせしめなければならない。これは恋愛が単に新しき存在を創造するからと云ふのではない。偉《おおい》なる愛によつて創造せらるるこの存在物は時代より時代を追ふて幾多の精神を拡大するであらう。而して情熱を放散する力ある感情を賦与せられたる豊富なる人類が漸次に創造せらるるであらう。恋愛は唯に人類が社会の新しき一員を得るの衝動となる許《ばか》りではない、それは人類が更らに密接なる関係を結び、子孫がその両親から大なる恋愛の力を遺伝する程度に従つて次第に高めらるる衝動となるのである。全ての人間関係によつてこの力は人類全体の上に反応するであらう。如何となれば人生に於ける万事は一つとして性愛と関係のないものはないからである。かくして生を否定する宗教にあつて性愛は最大の敵であり、生を肯定する宗教にあつては神聖なる衝動である。それは進化の階梯を進むるのみならず、尚ほ且つそれを確立せしむるものである。
 性愛は芸術、文学、法律、労働、宗教等と最も親密なる関係に立つてゐるものである。そうして性の撰択にその理想を与へてゐる。大なる宗教的情操は全てに最も近附き易いものであるといふことが一般に信じられてゐる。併しこの位真理でないものは恐らくないであらう。宗教的情操は他の場合にあつて偉なる恋愛によりて深く動かさるるが如き人々の精神にのみ大なる発達を見るのである。故に精神は大なる感情の結合より生ずる時更らに偉大になることは明かである。而して理想的恋愛は愛の力と権利とを拡大するであらう。
 現代に於けるが如く恋愛が未だ人生に於ける全ての勢力の中で最も侮蔑せられ、最も粗慢に取扱はれ、最も多く裏切られる時代にあつてはこの思想を充分に理解する人は恐らく少ないであらう。故に恋愛は何時か全く異なる形に於て現はれるであらうといふことは大なる理解を有する人でさへ殆んど思惟することが出来ないのである。人類が一歩一歩自己の道を進んで行くには先づ恋愛とその正道といふことを考へなければならない。何故なら人類はかくしてのみ更らに高き人道《ヒューマニティー》に到達することが出来るのであるといふ説を聞いて大抵の人々は疑惑の念を抱いて頭を振るのである。最高の教育を受けた人でさへダンテの所謂、intelleto d' amore(愛の智識)を欠いてゐる。或は少くとも恋愛修養が必要であるといふ理解を欠いてゐる。而してこれ等の言辞を以て徒らに全ての恋愛者の感情を膨脹せしめ遂に彼等を気球にて人生より高く飛翔せしむる誘惑の言葉であると見做してゐる。恋愛者は其処より自己に対する二重の尊敬に魅せられて人生を見下すのであると彼等は考へてゐる。言葉を換へて言へば人生に於ける恋愛の価値に対する凡ての弁護は、恋愛のために全ての他の人生の価値を軽視するものとして説明せられてゐるのである。
 かくの如く云ふ人々は宗教が愛といふ範囲に於てのみ人を浄化し、又力を与ふるものであり、人間の精神はそれが何物かを愛してゐる程宗教的に、又宗教の必要を感じてゐるものであるといふ事実を知らないのであらうか、何故なれば精神の力量は制限せられてゐる。その精力が一方に注がれる時には同時にそれを他に与ふることは出来ないのである。恋愛といふものは全ての感情の中で最も精神を発展せしむるものであり、又最も統合的でもある。特に全ての愛の中の最高なるものを吸収する恋愛は霊肉の合致となり、個人的生活と社会的生活の一致ともなり、偉大にして神秘なる世界的薔薇《ワールドローズ》の花芯となるのである。かかる事実に対して彼等は全く盲目なのであらうか。
 この偉大なる事実を軽視するが故に、全ての社会問題及び政治問題を解決せんとする努力は悉く砂上の建築の如く、全ての修養努力は毒素を含む源泉より流れ来る河川の如く、其他人生の他の方面に於ける全ての力の発揮も萎縮せる根より成長せる植物の如き感がある。斯の如き状態は恋愛に対する新らしき宗教的尊敬が性的生活の健全にして美はしき条件として建築せらるる迄は持続するであらう。恋愛に対する斯の如き観念は社会の堅実なる基礎を造り、その源泉を純化し根元に滋養を供給するであらう。大都会の貧民窟を一度通過した者は今日吾人があまりに多く社会問題を喋々するといふが如き言葉を敢て公言する者は恐らくあるまい。併しながら、性的関係は実に今日に於ては全ての社会階級中の貧民窟に比せらるべきものである[#「性的関係は実に今日に於ては全ての社会階級中の貧民窟に比せらるべきものである」に傍点]。而かもなほこの真理に対して発言する者があれば常に思索せる人々さへ『恋愛に対してあまりに多くの言葉が費やされる。それに対してあまりに重きが置かれるではないか』と叫び出すのである。
『現社会程結婚の悲劇と恋愛の浪費の多いことは恐らくあるまい。それがため社会は遂にその不幸を聞くべき耳を失なつてしまつた位である』とかの詩人は云つたがこれ程たしかな言葉はないのである。
 かの宗教家或は人道の志士が性的生活の罪悪並びに病症に起因する頽廃を指摘して道徳を説く時にそれを傾聴するものは社会の極めて少数なる人々である。吾人はそれを耳にする時頽廃の如何に恐るべきものなるかを知りそれに対して社会の意識が夙《つと》に覚醒せられたのではあるまいかと思はずにはゐられないのである。然るに実際の状態は未だ何人もそれを認めてはゐない。之は別段驚くにはあたらない。恋愛の人生に対する価値を否定し或は無視してゐると云ふことがその深い根柢となつてゐるからである。又数字によつて確かめられない人生の多くの不幸なる障害が同一原因に根ざしてゐるのであるといふことを説明されても、それを理解することの出来ぬ人のあるといふのも別段怪しむに足りないことである。
 世間一般の人々は隈なく探求して結婚の社会的価値を証拠立てんとする様々の議論を担ぎ出すものである。彼等は数字の上に数字を重ね自殺、罪悪、飲酒、疾病等による死亡数は既婚者より未婚者の場合に於て遙かに夥多《かた》であるといふことを例証せんとしてゐる。又小児の死亡数と罪悪も私生児の場合に於て遙かに多いと主張してゐる。又一方に於ては恋愛を以て離婚と自殺と罪悪の原因であると攻撃してゐる。併しながら彼等は一方に於て、社会の状態と両親の偏見とが恋愛結婚を妨圧せるがため、独身の生涯を送り、或は発狂し自殺し、罪悪を犯し、私生児の親となつた統計をば等閑視してゐる。かかる場合に於て恋人の一人は必ず富のためか或は『義務』の為め、又は『他人の幸福』のために犠牲となり、或は圧制せられ恋愛に対する叛逆者となつたに相違ないのである。
 併し実際現今ではかの昔両親がその娘に対し『お前は自分の幸福と云ふことを考へてはいけない。先づ他人の幸福といふことを考へなくてはならぬ』といふ思想を諄々と教へ込んだ時代よりもこう云ふ犠牲者に出遇ふことは少くなつたやうである。他人の幸福といふのは畢竟《ひっきょう》自分の両親が承認した男を幸福にして自分の愛した男を不幸にしてやれといふ意に他ならないのである。これではその両親も両親の撰択した男も自分の幸福のかはりに他人の幸福といふことを考へなければならないその義務を忘却してゐるのではないか。
 彼等はそう云ふことには一向無頓着でゐたのである。併し今でも多くの人々は青年男女の恋愛中に発見する幸福が、社会の幸福の根本的要素であるといふ真理に対して実に朦朧たる観念ほか有してはゐない様である。青年男女が第一に守るべき義務は彼等の恋愛に対する義務である。彼等にして若し第一に恋愛の義務を首尾よく守る事が出来たなら自余一切の義務も従がつて容易に守り得る事が出来るであらう。恋愛とは決して、義務と矛盾するものではない。否、結婚に際して守るべき最大なる第一義の義務[#「最大なる第一義の義務」に傍点]である。
 特殊の場合に於ては義務の力と勝利とは恋愛の幸不幸を問はず確かに恋愛を滅亡せしめた、或は又、反対に恋愛が義務の滅亡を促がしたことも真である。併しながら今日大多数の人々が恋愛の途上に横はる幾多の障害を黙忍し或は秘かに恋愛に対して挑戦を試み日々夜々その精力を乱費しなければならないがため全ての国民の精力が如何程浪費せられてゐるかといふ事を静かに考ふる人がどれだけあるだらう。又かの未成の事業、当初より薄弱にせられたる凡ての精力が途中にてその発達を阻害せられ、或は早く疲弊し尽し再び復活することあるも、充分なる発展を見ること能はず、その目的は達せられずして終り、或は目的に向つて進むことあるも初より低き目的に向つて努力するが如き全てこれ等の原因は悉くかの不幸なる家族生活に起因するものであるといふことを深く考へたものがあるだらうか。又、一般の男女が性的生活以前の事に対して、より多く真摯なる注意を払ふことを教へられなかつたなら、そして結婚以前の事に対して何等の教育をも授けられず、又、彼等の恋愛以外の他の大なる生活上の要求に対する権利を社会から与へられなかつたならば全てかくの如き精力の社会的浪費は除かれたであらうと云ふことを静かに考へてみた人があるだらうか。
 恋愛の幸福を感ずることなくして無数の人間が高雅なる美しき生活を送つてゐるといふ事実は仮令彼等が更に進んでその幸福を味ふともそれ以上に美しく強く――故に社会に対しては更に必要なる――生活することは出来ないといふことを証拠立ててはゐない。一方に於てかくの如き幸福を欠如せるにも関はらず、尚ほ暖かき感情と智慧とを有する人々があると同時に他方に於ては未婚の結果或は既婚の結果として感情氷結し或は自暴自棄に陥つた人々がゐるのである。而して多くの人々の斯くの如き結果に到達するはかの恋愛の運命が時に与ふる斥けがたき悲劇のためではなく旧時代が新時代に対し人生に於ける恋愛の価値は極めて小なるものであるといふ見解を強ひた為めである。恋愛が『神聖なる生産』の必然的基礎として宗教的尊敬を以て取扱はるる様になれば、現在社会の救済事業の大部分は無用となるであらう。且て人間堕落の原因と云はれた恋愛が人間の幸福の一手段と変ずる時は厭世、失望、堕落の数は遙かに減ずるであらう。現在に於て劣情の牢獄の中に禁錮せられてゐる曾つて偉大であつた力が性的生活を通じて無用の苦しみから開放せらるる時は現在社会にて浪費されてゐる種々なる勢力が人生の他の方面に活躍するのみならず恋愛が覚醒し緊張する新しき諸勢力が更らにその上に加へられるであらう。
 併しながら私の恋愛といふのは人格的の偉大なる恋愛を指すのである。それは人生の無限の相を開放して人々に示すものであつてその変化を消滅せしむるかのふざけたる小さき恋の如きを云ふのではない。その恋愛は先づ第一に自己の存在と他の人々の存在が真に偉《おお》きく計りがたいものであるといふ感じを
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