ゥ己の健康を自己及び社会に大なる直接の価値あるものとして取扱ひ、単に他人の為めのみならず自己の健康の幸福のために努力することを以てその権利でもあり義務でもあると考へてゐる一般の法則を破壊してはゐないのである。他の言葉を以て云へば中世紀に於ける観念はこの場合に於て全く顛倒されたのである。
来るべき時代はこれと同じく現在に於ける恋愛の観念を悉く顛《くつ》がへすであらう。現在に於ける恋愛の観念はかの中世紀の健康に対する観念と等しく人生にとつて有害なるものである。此価値の転換或は変化は健康に関して私の述べた場合と同じく恋愛に於ける様々なる条件の現出を妨げないであらう。併し要するに各個人が自己の恋愛を自己と社会に対し両《ふた》つながら大なる価値ありと信じ、この幸福のための努力を以て自からの権利であり、義務であると思惟する上にその最大の主張が置かれなければならない。
私のこの見解に対してフエルスタア博士は懇切なる批評をせられた。博士の批評は基督教の禁慾的人生観から見れば極めて自然のことである。氏の意見に従へば俗社会の律法並びに宗教的権威に服従することが更らに高き進化に進む唯一の道である。自己の
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