燒セせらるゝ観念である。中世時代にあつて人々が自己の肉体を飢渇、汚物等によつて苦しめ弱めんと計り、疫病に神罰を認め苦行によつてその救済を計らんとせる時吾人が今日有するが如き衛生上の観念は微塵もなかつたのである。個人が健康を神の意志なりと認め、各自の健康を増進することを以てその義務なりと見做し、地上の生命が善良なるものと認められ、社会が科学の活動を健康の法則に適用し、疾病を征服し、生命を延長する事を以てその義務なりと考ふるに至るまでは人々は健康衛生に対して何等の観念をも有してゐなかつた。健康は次第にそれ自からを目的にするやうになつて来た。而して幸福はそれが他の目的の為に有用なるか或は無用なるかを問はずそれ自からの為めに努力することを吾人は承認しなければならないやうになつた。然るに今日に於てもなほ自己の精神生活によつて病体を維持してゐる人々がある。又自己の健康を増進せんとする良心を有しながら不幸にしてそれを失つてゐる人も沢山ある。或は自己の健康に対して過大の注意を払ふ利己的の人があり、自己の健康を更らに高き目的の為めに犠牲にして惜しまざる博大の心を有する人もある。然しこれ等はすべて各個人が
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