声を廊下で聴いたというのだ。心理学者は母性愛と並行する母性憎があるという。その愛憎並存を老齢のまきにあてて、この事件はますます疑雲におおわれてしまった。
老齢によくある耗弱の発作だろうか。そうとすれば、まさにその後のまきは酬いだといってもいいのだ。
手も、足もうごかず、口も利けず、いずれは車椅子のなかで一生を終るだろうが、そうして、ただ呼吸をし、ぼんやりと見るまきの様は正視の出来ないものだ。刑罰か――死ぬに死ねない、惨苦を味わいながら余生を送らねばならぬのは……。
末起も、それについて折ふし考えさせられた。
(こんな良いお祖母さまが、そんなおおそれたことをするとは、どうしても、そうは私には思えない。口が利けたら、手足がうごいてものが書けたら……。きっと、お祖母さまの口から、途方もない事実《こと》が出るだろう。こんな良い人の、お祖母さまが悪魔になれるもんか)
末起は、ひとりでそういうように、決めていた。肉身が、憎み合ったらそりゃひどいというけれども、なんで、二人のあいだにそんな事実があろう※[#感嘆符疑問符、1−8−78] 自分への、家庭での愛を二分していた二人だけにいっそう悲し
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