。そうしますと、その先夫というのが、いったい何者に当るのでございましょうか。だいたい先夫遺伝といえば、前の夫の影響が、後の夫の子に影響するのを云うのですけど、たいていは、皮膚か眼か髪の色か傷痕くらいのところで、私のような場合は、おそらく万《まん》が稀《まれ》――稀中の奇と云っても差支えないだろうと思われますわ。それほどあの瞬間の印象が強烈だったのでございましょう。ようございますか、たとえば、二匹の牛の眼を縛って、互いに相手を覚らせないようにしてから、交尾させたとします。そうしてから、まず牡牛だけを去らせて、その後に牝牛の眼隠しを解きますと、そうしてから生れる犢《こうし》が、その後同居する牡牛の色合に似てしまうのです。それが私の場合では、あの時の鵜飼邦太郎《うがいくにたろう》の四肢《てあし》にあったのですわ。当時私は、妊娠四ヶ月でございました。そして、惨《いじ》らしくも指まで潰《へ》しゃげてしまった、あの四肢《てあし》の姿が、私の心にこうも正確な、まるで焼印のようなものを刻みつけてしまったのです」
 それこそ、滝人一人のみしか知らぬ神秘だったと云えよう。あの――騎西一家を震駭《しんがい》
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