して勝利の確信を決《き》め、眼前に動けなくなった獲物があるのを見ると、それを弄《もてあそ》びたいような快感がつのってきた。
「それが時江さん、貴女からはとうてい取り離せない、精神的な病気なのです。貴女はそれを聴くと、あの仔鹿《かよ》の胴体で、一つの文字を描いてしまったのです。なぜなら、そういう数形式型《ナンバー・フォームス》の人達について、ここに面白い話がありますわ。それはブリッジの名手と云われた、クヌト・ライデンの逸話なのです。私は、少しもそのゲームのことについては知りませんけど、なんでも終り頃になって、スペードの1で、勝敗が決まってしまうような局面になったのですが、もちろんライデンにはその札《ふだ》はないので、むしろ自暴《やけ》気味だったのでしょう、もし、俺《おれ》が持っているんだったら、心臓を刳《えぐ》り抜いてみせる――と云ったそうなのです。すると、その一座の一人が、ふと前にある、置灯《スタンド》の台に眼をやったのを見ると、そこでライデンは、ポンと札を卓上に投げ捨て、君が勝ったと、その一人を指摘したという話があります。なぜなら、スペードから心臓《ハート》の形をとってしまえば、残ったものが、てっきり卓子灯《スタンド》の台としか思えないじゃありませんか。そこで時江さん、貴女にも、ちょうどそれと同じものが仔鹿《かよ》の頸《くび》にあったのです。熊鷹に抉り抜かれた――というあの一言が、鹿子色をした頸先のほうに、一つの孔《あな》のような斑《まだら》を作ってしまったのでしたね。ですから、その全体が、高《たか》の字を半分から截《た》ち割ったように思われて、いまでは十四郎が、どうしても遇うことのできない、高代という女の名が連想されてきたのでした。そうすると時江さん……」と滝人は、双眼に異様な熱情を罩《こ》め、野獣のような吐息を吐きながら、時江に迫った。
「貴女には、けっして知るはずのない隧道《とんねる》の秘密を、いったいどうして知ったのです。十四郎が話したのでさえなければ……。ああ、あの男に、もしやすると、鵜飼の意識が蘇《よみがえ》ってきたのではないかしら」
 そうして、滝人の心の中で、いろいろなものが絡《から》みはじめてくると、それまで数年間の疲労が一時に発し、もはや座にいたたまれぬような眩暈《めまい》を覚えてきた。すると、時江は怯々《おずおず》と顔を上げ、低いかすれたよう
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