な声で、嫂《あね》に云った。
「それでは、何もかもお話しいたしますが、お嫂《ねえ》さま、貴女それを、兄にだまっていて頂けますか。実を云いますと、いつも御霊《みたま》所の中で、母と対座しておりますうちに、兄は時折、その高代という言葉を口にするのです。私はそれを聴くと、もしやお嫂《ねえ》さま以外にも、兄の胸の中にある人がいるのではないかと考えられて、先刻《さっき》も先刻、大兄の仕打ちがあまり酷《ひど》いと思われたものですから、つい私、むらむらと口にしてしまったのです。ねえお嫂《ねえ》さま、もうこの谿間《たにあい》に来てしまった以上は、なんと云っても、遠い別世界の話なんでございますからね。どうか、お怒りにならないでくださいましな。もしかして兄の耳に、私のいらず口でも入った日には、ほんとうにそれこそ、私、どんな目に遇わされないとも限りませんわ。ねえ、それだけは固い約束をして、ねえお嫂さま」
と兄の粗暴な復讐《ふくしゅう》を懼《おそ》れて、時江はひたすら哀願するのだったが、なぜかその時は、いったん下りかけた滝人の頸《くび》が、中途でハタと止まってしまった。滝人はじっと眼を瞑《と》じたまま、それなり動かなくなってしまったのである。生涯謎のままで終るかと思われていたあの疑惑にも、ついに解け去る時機が訪れてきた。今の時江の言葉を解釈してみると、十四郎――いや鵜飼邦太郎が、御霊所の中で鎮魂帰神などと称し、母の眼を見ながら対座しているということは、以前にも、信徒である限り必ずそうしたものである。もちろんそれは、一種催眠誘示の手法に相違ないのだから、その間は、潜在意識が飛び出すのに、おそらく絶好な時機ではないだろうか――。そうして、彼女が第一の人生に、終止符を打つことができたとすると、当然鵜飼邦太郎の存在が、いよいよ幻から現実に移されねばならない。となると、またそこには、なにか充されていない空虚なものができてしまって、それが頭の皮質に、ガンガンと鳴り響いてくるのだった。ところが、そのとき滝人の頭の中に、ふと一つの観念が閃くと、知らず知らず残忍な微笑《ほほえみ》が、口の端を揺るがしはじめた。突然、彼女の背後から現われ出たものは、華麗な衣裳こそ身につけているが、その顔は二目《ふため》と見られぬ、醜い邪悪なものだった。それが、いまも見るように、滝人の頸を中途で停めてしまったのである。すると、
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