、いかにダイヤをみせ渓谷性金剛石土《カスカリヨ》を示すとはいえ、誰が十二分の信頼をこの男にかけようか。まったく、こうした場所に出入りをする富有階級の人間が、怪しさ半分欲半分で、まずこの程度ならばフイにしてもというのが、七万ぐらいのその辺だったのであろう。カムポスは、もっとこの話を現実付けねばならぬと思って、
「じゃ、その礦地とはいったい何処《どこ》にあるか。また、どうして俺がそれを見付けたかということを、これから諸君にかい摘んで話そう。しかしだ、今度は七万ミルなんてえ、吝《しみ》ったれは止めて貰うよ。もし、そんな声が出たらそれっきりにして、俺はサッサと帰るからね」
それからカムポスは、賭博場《キヤジノ》はいうに及ばず踊り場からキャバレーまでのほとんど「恋鳩《ポムピニヨス・エナモール》」の全客をあつめたと思われるほどの、黒山の人を相手に滔々《とうとう》と言いはじめたのである。その第一声が、まず人々に動揺をおこさせた。
「ところで、その新礦地があるのは、“Gran Chaco《グラン・チャコ》”だ。どうだ、グラン・チャコとは初耳だろう」
南米に、まだ開拓のおよばぬ個所が四つほどある。一つは、人も知る奥アマゾン、さらにオリノコ川の上流もその一つだろうし、また、南端へゆけばパタゴニア地方にも、恐竜の全化石などがでる未踏地がある。そうして、第四がこのグラン・チャコなのだ。
南緯二十度から二十七度辺にまでかけ、アルゼンチン、パラグァイ、ボリヴィアの三か国にわたり、密林あり、沼沢《しょうたく》あり、平原ありという、いわゆる庭園魔境の名のグラン・チャコ。そこは奇獣珍虫が群をなして棲《す》み、まだ、学者はおろか、“Mattaco《マツタコ》”印度人《インディアン》でさえも、奥地へは往ったことがないというほどの場所だ。
「で、そのグラン・チャコのなかに“Pilcomayo《ピルコマヨ》”という川がある」とカムポスが淀《よど》みなく続けてゆく。
「それは、フォルモサの密林の北をながれて、ながらくパラグァイ、アルゼンチン両国の境界争いの場所だったことは、諸君も知っておることだろう。たがいに、川の南北に陣どって堡塁《フオルチネス》をきずき、いまなお一触即発の形勢にある。では、その境界争いはなんのために起ったか。貪ろうとしたのか? それとも、条文の不備か? 何のためかというに、それは、このピルコマヨという化物のような、じつに不可解|千万《せんばん》な川のために起っている。
で諸君、諸君はこの川が貫いている“Esteros de Patino《エステロス・デ・パチニョ》”すなわち『パチニョの荒湿地』なるおそろしい場所を知っているかね。いや、ブラジルには通り名がある。パチニョというよりも『蕨の切り株《トッコ・ダ・フェート》[#ルビは「蕨の切り株」にかかる]』――。俺はその名を知らんとはいわさんぞ」
パチニョの荒湿地、一名「蕨の切り株《トッコ・ダ・フェート》[#ルビは「蕨の切り株」にかかる]」――それには、また人々の中がザッとざわめき立ったほどだ。読者諸君も、蕨《わらび》の切り株とはなんて変な名だろうと、ここで大いに不審がるにちがいない。蕨といえば、太さ拇指《おやゆび》[底本では「栂指」と誤り]ほどもあれば非常な大物である。それだのに、それが樹木化して切り株となる魔所といえば、それだけ聴いても、この「蕨の切り株《トッコ・ダ・フェート》[#ルビは「蕨の切り株」にかかる]」なる地がいかなるところか分るだろう。でまず、順序としてピルコマヨ川の、化物然たる不思議な性質から触れてゆこう。
ピルコマヨには、元来正確な流路がない。土質が、やわらかな沖積層で岩石がなく、そのうえ、蛇行が甚しいために水勢もなく、絶えず溢れ絶えず移動し、いつも決まりきった川筋というものがない。まったく、きょうの川は明日はなく、明日の湿地は明後日の川と、転々変化浮気女のごとく、絶えず臥床《がしょう》をかえゆくのがピルコマヨである。そうしてその流域のなかでもいちばん怖しい場所が、「蕨の切り株《トッコ・ダ・フェート》[#ルビは「蕨の切り株」にかかる]」のパチニョの湿地になっている。
これまでこの川は、水中植物の繁茂が実におびただしいために、櫂《オール》が利かず、遡《さかのぼ》ったものがない。従って、国際法でいう先占《せんせん》の事実というやつが、パラグァイ、アルゼンチンのどっちにもない訳である。日本人が、フランス人よりも先に新南群島を占めたため、いまは日本の領有となっている。その先占を、一九三二年の夏の終りごろに、いよいよアルゼンチン政府が決行することになった。
ピルコマヨが、「蕨の切り株《トッコ・ダ・フェート》[#ルビは「蕨の切り株」にかかる]」の荒湿地でまったく消えてしまう。それから、そこを出ると三つの川になり、「暗秘《リオ・ミステリーゾ》河、「迷錯《リオ・コンリーゾ》」河と成程というような名の川二つ。そしてその南にピルコマヨの本流がのたくり出ている。つまり、Ramos Gimenez《ラモス・ジメネス》教授を主班とするその探検隊の目的は、以上三つの流系をしらべ、あわよくば、グラン・チャコの謎といわれる「蕨の切り株《トッコ・ダ・フェート》[#ルビは「蕨の切り株」にかかる]」を衝《つ》こうとするものであった。
ところが、その探検が難渋《なんじゅう》をきわめ、やっと一年後に「蕨の切り株」の南隅に立つことができた。そのとき、じつに世界の耳目《じもく》をふるい戦かせたほどの、怪異な出来事が起ったのだ。
そこは一面、細茅《サベジニヨス》、といっても腕ほどもあるのが疎生《そせい》していて、ところどころに大蕨《フェート・ジガンデ》がぬっと拳をあげている。そして、下は腐敗と醗酵《はっこう》のどろどろの沼土。すると、ジメネス教授が立っているところから百メートルばかり向うに、髪をながく垂らした女のようなものが、水の中からぬっくと立ちあがったのである。教授は驚いた。――よく見ればいかにも女だ。しかし、すぐ浴《ゆあ》みをするように跼《かが》んだかと思うと、その姿が水中に消えてしまったのだ。
女だ。あくまで人間であって外の生き物ではない。しかし泥中で生き水底で呼吸《いき》のできる、人間というのがあるべき訳はない。と、半ば信じ半ば疑いながら、まったくその一日は夢のように送ってしまったのだ。すると翌日、顔をまっ蒼《さお》にした二人の隊員が、教授の天幕《テント》へバタバタと駆けこんできた。
聴くと、「蕨の切り株《トッコ・ダ・フェート》[#ルビは「蕨の切り株」にかかる]」へいって蝦《えび》類を採集していると、ふいに泥のなかへ男の顔が現われた。それは、まるで日本の能面にあるような顔で……びっくり仰天した私たちの様をみるや、たちまち泥をみだして水底に没してしまったというのだ。これでいよいよ、水棲人の存在が確認された。教授はそれに、沼底棲息人《インコラ・パルストリス》と学名さえつけたのだが、あまりに、想像を絶するような途方もないことなので、かえって世界の学会から笑殺されてしまったのである。
こうして「蕨の切り株」はちらっと戸端口《とばぐち》をのぞかせたまま、むしろ妖相を増し再び謎となったのである。ところがここに、世にも可怪《おか》しな話といえば必ず選ばれるような、水棲人《インコラ・パルストリス》を三度目に見たものが現われた。それが、余人ではないカムポス。
「俺は去年、パラグァイ軍の志願中尉をやっていた。まったくあの国は、学歴さえあれば造作なく士官になれる。で俺は、一通り号令をおぼえたころ、任地に送られた。これが、『蕨の切り株』に大分近くなっている、ピルコマヨ堡塁線《フォルチネス》中の“La Madrid《ラ・マドリッド》”というところだ。俺は、そこへゆくとすぐ上官に献策をした。先占《せんせん》をしなさい、全隊が銃を捨てて探検隊となり、『蕨の切り株』に踏みいって、パラグァイ旗を立てれば――と言ったら、俺はひどく怒られた。理屈はどうでも、銃を捨てて――なんてえ言葉は非常に悪いらしいのだ。俺は、そんな訳で業腹《ごうはら》あげくに、ようし、じゃ俺が一人で行って先占をしてやると、実にいま考えると慄《ぞ》っとするような話だが、腹立ちまぎれにポンと飛び出したのだ。
ところで、至誠|神《かみ》に通ずなんてえ言葉は、ありゃ嘘だ。俺は、無法神に通ずといいたいね。ジメネスが、一年も費《かか》ってやっとゆけた道を、俺は、ズブズブ沼土を踏みながら十日で往ってしまったよ。つまり、泥沼があれば偶然に避けている、危険個所と危険個所のあいだを千番のかね合いで縫ってゆく――僥倖《ぎょうこう》の線を俺は往けたわけなんだ。
で、『蕨の切り株』をはじめて見た日に、じつに意外なものに俺は出会っちまったんだよ。ちょうど、俺がいるところから四、五十メートルほど先に、ザブッと水をかぶったまま立ちあがったものがある。人だ。さてはジメネスのいうのは嘘ではない。人類の、両棲類ともいう沼底棲息人《インコラ・パルストリス》――。秘境『蕨の切り株《トッコ・ダ・フェート》[#ルビは「蕨の切り株」にかかる]』とともに数百万年も没していた怪。
それは、藻か襤褸《ぼろ》かわからぬようなものを身につけていて、見れば擬《まぎ》れもなく人間の男だ。胸に大きな拳形の痣《あざ》があって、ほかは、吾々と寸分の違いもない。と、いきなりそいつが片手をあげて、俺をめがけて投げつけたものがある。と思ったとき、もうそいつの姿が水面にはなかったのだ。俺は水棲人のやつがなにを抛ったのだろうと、大蕨《フェート・ジガンデ》を折ってやっとこさで掻きよせた。手にとると、なんか葉っぱの化石みたいなもん。それが、二つに合わさって藻で結えたなかから、現われたのがこのダイヤモンドだ」
そこまで言うと、カムポスは睨《ね》め廻すような目で、あたりをぐるっと一渡りみた。
「さあ、そこまで言《い》や、納得がついたろう。その水棲人が、広茫千キロ平方もある『蕨の切り株』の、一体どこから現われたかというにゃ、俺に目印がある。どうだ、諸君はそれをいくらに踏む?![#「?!」は一文字、第3水準1−8−77、223−3]」
声がない。ようやく、カムポスの額に青筋が張ってきたころ、一隅から美しい声がかかった。
「五十万ミル。あたくし、その程度ならお相手しても宜《よろ》しゅうございます」
そう言って、まっ白な胸をチラ付かせながら、喧騒の極に達した人波を、かきわけてくる。カムポスは、息を引いたまま白痴のような顔で、現われたその人をぼんやりとながめている。ああ、さっき彼が白百合のようにみた女性。
亡霊か、水棲人か
「承知しました」と、目をその女性の顔へ焼きつけるように据《す》えたまま、ちょっと上体をかがめてカムポスが挨拶《あいさつ》した。
「では、勝負の方法はなんに致しましょう。ですがこれは、三本勝負となるようなことは、あくまで避けねばなりません。一本勝負――それにご異存はないと思いますが」
「でも、こういう場所でやりますカードの遊び方を、私は、あまり知っていないのです」
その女性も、声が心持ちふるえ、上気した頬はまた別種の美しさ。言葉にも物腰にも深窓《しんそう》育ちが窺《うかが》われ、いまも躊躇《ためら》ったような初心初心《うぶうぶ》しい言いかたをする。まったくこんな、ナイトクラブあたりにはけっして見られぬような女性が、どうして途方もない大勝負をカムポスに挑むのだろう。また、一方カムポスもどうしてしまったのか、急に、それを境いに溌剌さが消えてしまった。目も、熱を帯びたようにどろんとなり、快活、豪放、皮肉の超凡《ちょうぼん》たるところが、どうした! カムポスと、喰らわしたくなるほど薄れている。
「では、“Escada de mao[#「mao」の「a」に長音記号]《エスカーダ・デ・モン》”はいかがで」
「梯子《エスカーダ・デ・モン》」とは、いわゆる相対《さし》の遊び方である。しかしそれ
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