《ほ》れやがって?![#「?!」は一文字、第3水準1−8−77、225−13]」
と折竹は呆れかえるような思い。いまの、カムポスの失策が明らかに故意であることは、別に、本人に問いただすまでもない。一目惚れというかなんて早いやつだと、暫《しばら》く二人を見くらべながら呻《うな》っていたのだ。しかし、その翌日すべてが明らかになった。
約束どおり、翌日ロイスがカムポスを訪ねてきた。彼女が、五十万ミルの大勝負を引きうけたというのも、事情を聴いてみれば成程《なるほど》とうなずける。きょうは、瀟洒《しょうしゃ》な外出着であるせいか、白いロイスがいっそう純なものにみえる。
「折竹さん、あなたは三上重四郎というお国の医学者を、ご存知《ぞんじ》でいらっしゃいますね? パタゴニア人に保護区政策《リザーヴェーション》をとれと、アルゼンチン政府と喧嘩をした……」
「知ってますとも。去年パタゴニアで行方不明になった……」
「いいえ、それがパタゴニアではなかったのです。それからあのう、三上が学生時代に発表した『Petrin 堆積説《ペトリン・セオリー》』も、折竹さんはご存知でございましょう」
三上重四郎は、いわゆる二世中の錚々《そうそう》たるもの。在学中、はやくも化石素《ペトリン》堆積説なるものを発表した。
化石素とは元来植物にあるもので、一つの種類が、絶滅に近づくと組織中にあらわれてくる。たとえば、松は枯れればそのまま腐敗するが、杉は、神代杉という埋れ木になることが出来る。いわば、これは化石になる成分で、それが現われたものは絶滅に近いというのだ。で三上は、人間の血のなかにもそういったものがある。なかには現にもう現われている種族があるといって……、アルゼンチン人の大部分である雑種児の血と、いま同国の南部、パタゴニア地方で、絶滅に瀕《ひん》しつつあるパタゴニア人の血とを比べたのだ。
すると、アルゼンチン人にはある化石素《ペトリン》が、パタゴニア人にはない。つまり、まさに滅びようとするパタゴニア人のほうが、かえって種族的には若いということになったのだ。そこで三上は、それをアルゼンチン政府攻撃に利用して、パタゴニア人の減少は自然的な原因ではなく、冷酷なアルゼンチン政府が保護区をつくらずに、むしろ滅んでしまうのを願わしく思っているのだろう。俺は、世界の輿論《よろん》に訴えてもパタゴニア人を救うと、三上は単身パタゴニアに赴《おもむ》いたのだ。
そこは、氷雪の沙漠、不毛の原野、陰惨な空をかける狂暴な西風、土人は、食に乏しく結核となって斃《たお》れてゆく。これでは、百の薬を投じようと到底救い得ぬ、結局保護区をもうけ氷の沙漠《さばく》から移さねば……と。
三上の日本人の熱血と人道愛とが、ここに合衆国全土に呼びかける大運動になろうとした。その矢先、彼の姿がふいに、消えてしまったのだ。それ以来、一年にもなるが依然三上の行方は、杳《よう》として謎のように分らない、という、ロイスの話を一通り聴きおわると、折竹がやさしく上目使いをして、
「お嬢さんは、では三上君をお愛しになってる……」
「はあ、二人ともおなじ大学でしたし……」
とロイスも燃えるような目になってくる。
「そんな訳で、三上はアルゼンチン政府にたいへん憎まれておりました。それで、たぶんアルゼンチンのどこかに秘密囚となっているのだろう――と、私はそう考えて南米へまいりまして、これでも、手を尽してどんなに探しましたでしょう」
額を支えた手で、卓子がかすかに揺れている。愛するものの不幸を訴えるように、ロイスはなおも続けた。
「でも、結局は断念《あきら》めねばなりませんでした。随分、金を惜しまずあらゆる手段を尽しましたが、三上の行方はどうしても分らないのです。私は、半分|自棄《やけ》でリオへ来て、話に聴いたナイトクラブとはどんなところだろうと、なんだか覗《のぞ》くような気持で『恋鳩』へゆきました」
「では、どうして、カムポスと一勝負という気になりましたね。貴女《あなた》に、五十万ミルぐらいの金は何でもないでしょうが」
「それは」とロイスの顔がきゅうに火照《ほて》ってきて、「カムポスさんが、ご覧になった水棲人の話。あれを聴いて、私がなんでそのままに出来るでしょう。水棲人の胸にあった拳形《こぶしがた》の痣《あざ》と、ちょうど同じものが三上にもあるのです」とこみあげてくる激情の嵐に、ロイスはもう、吹きくだかれたよう。
「ですから、カムポスさんは三上をみたんでしょう。あの水棲人とは、三上ですわ」
とたんに、室内がしいんとなった。三上が、魔境「蕨の切り株」にいて、水棲人とは?![#「?!」は一文字、第3水準1−8−77、228−9] 沼土の底にいて、なおかつ生きられるとすれば、三上という男はさいし
前へ
次へ
全13ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
小栗 虫太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング