ょからの化物だ。すると、そこへカムポスがううんと嘆声を発して、
 「では、ロイスさん、こっちの話をしますからね。私が、なぜあなたに対して勝とうとはしなかったか、勝てば、勝てたのをなぜ負けたかというと……、ロイス・ウェンライトという夢にも出る名の婦人が、貴女だと始めて知ったからです。
 水棲人が、私に投げてよこした葉っぱの化石みたいなものには、じつをいうと一面の文字が書かれてあった。しかし、それを私が掻《か》き寄せたために、その文字がほとんど擦《す》れてしまった。ただ、残ったのがあなたの名の、ロイス・ウェンライトというだけ……」
 「ああ、そんなことを聴くと、泣きたくなりますわ。三上は、きっとダイヤを報酬にするからこれを私に届けてくれと、あなたにお願いしたのでは……?」
 奇縁とは、じつにこうした事をいうのだろう。三上が、生きてか、それとも死んでの亡霊かはしらぬが、とにかく、愛するロイスへ通信を頼んだ。それが、この話のなかのたった一つの現実。他は、すべて怪体《けったい》にも分らなすぎることばかりだが、ロイスの身になってみれば……。
 事実、ロイスの熱情はこれなりではすまなかった。よしんば空しかろうとも「蕨の切り株」へ往ってと、熱心に一日中折竹を説いて、ついにグラン・チャコ行きを承知させてしまったのである。そうして、カムポスを加えた三人の者が、「蕨の切り株《トッコ・ダ・フェート》[#ルビは「蕨の切り株」にかかる]」へとリオ・デ・ジャネイロを発《た》っていった。

   永世変りゆく大迷路

 ジメネス教授が、「蕨の切り株」をとり巻く湿地を調査して、まるで海図みたいに足掛りの個所《かしょ》を記入した地図がある。それが、米国地理学協会にあったのが大変な助けとなって、ともかく難行ながら「蕨の切り株《トッコ・ダ・フェート》[#ルビは「蕨の切り株」にかかる]」にでたのである。それまでは、プォルモサの密林ではアメリカ豹《ジャガール》[#ルビは「アメリカ豹」にかかる]の難、草原《パンパス》へでればチャコ狼《アガラガス》[#ルビは「チャコ狼」にかかる]の大群。グァラニー印度人《インディアン》百名の人夫とともに、一行はいい加減へとへとになっていた。しかし、はじめて見る「蕨の切り株」の景観は……。
 ただ渺茫《びょうぼう》涯《はて》しもない、一枚の泥地。藻や水草を覆うている一寸ほどの水。陰惨な死の色をしたこの沼地のうえには、まばらな細茅《サベジニヨス》のなかから大蕨《フェート・ジガンデ》が、ぬっくと奇妙な拳《こぶし》をあげくらい空を撫でている。生物は、わずか数種の爬虫《はちゅう》類がいるだけで、まったく、水掻きをつけ藻をかぶって現われる、水棲人《インコラ・パルストリス》の棲所《すみか》というに適わしいのである。すると、ここへ来て五日目の夜。
 陰気な、沼蛙《ぬまがえる》の声がするだけの寂漠たる天地。天幕《テント》のそばの焚火《たきび》をはさんで、カムポスと折竹が火酒《カンニャ》をあおっている。生の細茅《サベジニヨス》にやっと火が廻ったころ、折竹がいいだした。
 「君は、ロイスさんにどんな気持でいるんだね」
 「………………」
 「そういう気配は、君がはじめてロイスさんをみた、その時から分っていたよ。惚れもしなけりゃ五十万ミルを棒に振ってまで、君がわざと負ける道理はないだろう」
 「俺はまた、大将という人はサムライだろうと思ってたがね」とカムポスがじつに意外というような顔。
 「俺は、すべてをロイスさんにうち明けにゃならん義務を背負っている。義務であるものに金を取り込むなんて、俺にゃどうしても出来ん。カムポスはつねに草原《パンパス》の風のごとあれ、心に重荷なければ放浪も楽し――と、俺は常日ごろじぶんにいい聴かしてるんだ」
 「詫《あや》まる」と折竹はサッパリと言って、
 「だが、惚れたなら惚れたで、別のことじゃないか。君が、生涯に一人だけ逢うというその女性が、ロイスさんのように、俺にゃ思えるよ」
 「くどいね、大将は」カムポスも、辟易《へきえき》してしまって、
 「いかにも俺は、あの人が好きだよ。好きで好きで、たまらんというような人だ。これだけ言ったら、大将も気が済んだろう」と、なにかを紛《まぎ》らすように笑うのである。
 しかし、事実水棲人とはまったくいるものか? また、カムポスが逢った三上の姿は亡霊か、それとも生態が変って、沼土の底でも生きられるようになったのかと、いつも四六時中往来する疑問は、その二つよりほかになかった。カムポスが、「ロイスさんの執念にもまったく恐れ入ったよ。よくまあ、五日間ぶっ続けに水面ばかり見ていられるもんだ」
 「そりゃ、君がみた三上は幽霊じゃないだろう」
 と、はじめて折竹がその問題に触れたのだ。
 「といってだよ、たとえ
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