相を増し再び謎となったのである。ところがここに、世にも可怪《おか》しな話といえば必ず選ばれるような、水棲人《インコラ・パルストリス》を三度目に見たものが現われた。それが、余人ではないカムポス。
 「俺は去年、パラグァイ軍の志願中尉をやっていた。まったくあの国は、学歴さえあれば造作なく士官になれる。で俺は、一通り号令をおぼえたころ、任地に送られた。これが、『蕨の切り株』に大分近くなっている、ピルコマヨ堡塁線《フォルチネス》中の“La Madrid《ラ・マドリッド》”というところだ。俺は、そこへゆくとすぐ上官に献策をした。先占《せんせん》をしなさい、全隊が銃を捨てて探検隊となり、『蕨の切り株』に踏みいって、パラグァイ旗を立てれば――と言ったら、俺はひどく怒られた。理屈はどうでも、銃を捨てて――なんてえ言葉は非常に悪いらしいのだ。俺は、そんな訳で業腹《ごうはら》あげくに、ようし、じゃ俺が一人で行って先占をしてやると、実にいま考えると慄《ぞ》っとするような話だが、腹立ちまぎれにポンと飛び出したのだ。
 ところで、至誠|神《かみ》に通ずなんてえ言葉は、ありゃ嘘だ。俺は、無法神に通ずといいたいね。ジメネスが、一年も費《かか》ってやっとゆけた道を、俺は、ズブズブ沼土を踏みながら十日で往ってしまったよ。つまり、泥沼があれば偶然に避けている、危険個所と危険個所のあいだを千番のかね合いで縫ってゆく――僥倖《ぎょうこう》の線を俺は往けたわけなんだ。
 で、『蕨の切り株』をはじめて見た日に、じつに意外なものに俺は出会っちまったんだよ。ちょうど、俺がいるところから四、五十メートルほど先に、ザブッと水をかぶったまま立ちあがったものがある。人だ。さてはジメネスのいうのは嘘ではない。人類の、両棲類ともいう沼底棲息人《インコラ・パルストリス》――。秘境『蕨の切り株《トッコ・ダ・フェート》[#ルビは「蕨の切り株」にかかる]』とともに数百万年も没していた怪。
 それは、藻か襤褸《ぼろ》かわからぬようなものを身につけていて、見れば擬《まぎ》れもなく人間の男だ。胸に大きな拳形の痣《あざ》があって、ほかは、吾々と寸分の違いもない。と、いきなりそいつが片手をあげて、俺をめがけて投げつけたものがある。と思ったとき、もうそいつの姿が水面にはなかったのだ。俺は水棲人のやつがなにを抛ったのだろうと、大蕨《フェート・ジガ
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