フである。
「そうだ。表面氷河は氷斧《ピッケル》をうけつけぬ。しかし、内部《なか》は飴《あめ》のように柔かなんだ。掘れるよ。とにかく、折竹のいうとおり氷罅《クレヴァス》を下りてみよう」
 やがて、青に緑にさまざまな色に燃える氷罅《クレヴァス》の一つを四人が下りていった。試しに氷斧《ピッケル》をあてると、ボロッとそこが欠けた。

   アジアの怒り

 それは、大レンズのなかへ分け入ってゆくような奇観だった。さいしょは、疲労と空気の稀薄なためおそろしい労作だったが、だんだん先へゆくにしたがい氷質が軟かくなる。しかも、地表とはちがい、ほかつくような暖かさ。そこで諸君に、氷河の内部がいかなるものか想像できるだろうか。
 四人はいま、微妙なほんのりした光に包まれている。しかも、四方からの反射で一つの影もない。円形の鏡体、乱歩の「鏡地獄」のあれを、マア読者諸君は想像すればいいだろう。そのうえ、ここはさまざまな屈折が氷のなかで戯《たわむ》れて、青に、緑に、橙色《オレンジ》に、黄に、それも万華鏡のような悪どさではなく、どこか、縹渺《ひょうびょう》とした、この世ならぬ和らぎ。これが、人間をはばむ魔氷の
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