n」の掟《おきて》に従うことになった。いや、おそろしい力に従わせられたのだ。
今朝、ゴリラがちょうど二週間目に死んだ。
私は、鹹沢《しおざわ》のへりにいて洞窟にいなかったが、そこへ妙な、聴きなれない音が絶《き》れ絶《ぎ》れにひびいてくる。それが、洞窟のほうなのでさっそく戻ると、ゴリラがまさに死のうとする手でじぶんの胸をうち、かたわらの石をうっては異様な拍子を奏でているのだ。私もゴリラに音楽があるという噂は聴いていたけれど、その音は、「いま遠い、遠いところへゆく」と叫んでいるようなもの悲しげなものだった。私は、とたんに哀憐の情にたまらなくなってきて、ゴリラの最期を見護《みと》ろうと膝に抱えたとき、意外な、軽さにすうっと抱きあげてしまった。
まったく、力のあまりというのが、その時のことだろう。ながい、絶食と塩分の枯痩《こそう》とで、そのゴリラは骨と皮になっていた。それにしても、この私とてもおなじように痩《や》せ、まして、壊血病になやみながらこの老巨獣を、抱きあげられたことはなんといっても不思議であった。私は、ここにいる間に森の人になったのではないか。痩せても二百ポンド以上のものを軽々
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