フ蔓が緊密にからみ合って、それがひろい川だと河床ちかくまで垂れてくる。踏むとふかふかとした蒲団《ふとん》のような感じで、足を雪から出すように抜きあげながら進む。

 それがここでは、人間の身長の倍以上のたかさで、蔦や大蔓が砦《とりで》のようにかためている。
 その自然の架橋を、いよいよ生気を復した三人がゆくことになり、やがて、マヌエラを押しあげてそのうえに立ったのである。この大湿林を、まさか上方からながめようとは思わなかったが、さすがその大眺望にはしばらく足を停めたほどだ。地平線は、樹海ではじまり樹海でおわっている。一色のふかい緑は空より濃く、まさに目のゆくかぎりを遮るものも、またこの単色をやぶる一物さえもないのだ。そうしてついに、この大湿林を抜けることができたのである。
 楽々と、それまできた十倍以上を踏破し、北側の傾斜からまわって、絶壁のうえへ出ることができた。
 見おろすと、眼下の悪魔の尿溜はいちめんの灰色の海だ。その涯がうつくしい残陽に燃え、ルウェンゾリの、絶嶺が孤島のようにうかんでいる。しかし、瘴癘《しょうれい》の湿地からのがれてほっとしたかと思えば、ここは一草だにない焦熱の野である。
 赤い、地獄のような土がぼろぼろに焼けて、たまに草地があると思えばおそろしい流沙であった。そしてそこから、雨期には川になる砂川《サンド・リヴァ》が現われ、絶壁のちかくで地中に消えている。
「有難うカーク、どれほど君のために助かったことだろう」
「ほんとうですわ」
 座間とマヌエラが真底から感謝した。それは、きて以来一滴も口にしない、おそろしい飢渇《きかつ》から救われたからだ。カークが砂川《サンド・リヴァ》の下の粘土層のうえが、地下流だというのをやっと思いだしたからである。ほかにも、ここへくると大枝をもってきて、ささやかながら小屋も建てられた。そうして、熱射も避け、水も手に入れ、ときどき鳥をうっては腹をみたす。が、なにより困ったのは青果類の欠乏で、そろそろ壊血病の危険が気遣《きづか》われるようになってきた。
 すると、ちょうど六日目の午後に、一台の飛行機が上空に飛んできた。待ちに待ったアメリカ地学協会のものらしい。三人が飛びだして上着をふっていると、その飛行機からすうっと通信筒が落ちて来た。駆けよって、ひらいてみると、明日午後に――と書いてある。ながい惨苦ののちにやっとモザンビイクに帰れる。マヌエラは、感きわまって子供のように泣きはじめた。
 しかしそのとき、その衝撃《ショック》が因でまたラターがおこった。今度は、カークのまえなので隠すこともできず、座間はその晩ねむれるどころではなかった。
(可哀そうな、かなしいマヌエラ。ここで、よしんば助かるにしろ、先々はどうなろう。治るまい、おそらく真の狂人《きちがい》に移ってゆくだろう)
 暗中に、目を据えて焚火《たきび》を見つめながら、座間は痩《や》せ細るような思いだった。いまに、醜猥《しゅうわい》な言葉をわめき散らすようになれば、美しいマヌエラは死に、ただ見るものの好色をそそるだけになる。よしんば助かっても空骸がのこる。恥と醜汚のなかでマヌエラの肉体が生きるだけ……。
 するとその時、座間の目のまえへ幻となって、一匹の野牛の顔があらわれた。
 それは、コンデロガを発って間もなく、曠原《こうげん》の灌木帯で野牛を狩った時のこと、砂煙をたてて、牝の指揮者のもとに整然と行動する、その一群へ散弾をぶちこんだ。すると、腹をうたれたらしい一匹がもがいていると、他が危険をおかしてそれに躍《おど》りかかり、滅茶滅茶《めちゃめちゃ》に角で突いて殺してしまったのである。どうせ、駄目なものは苦しませぬようにと、野獣にも友愛の殺戮《さつりく》がある。医師にも、陰微な愛として安死術がある。
 焚火のむこうで鬣狗《ハイエナ》が嗤《わら》うようにうずくまっている。とたんに、怪しい幽霊がじぶんをみているような気がした。やがて、夢も幻もないまっ暗な眠りがはじまったとき、座間は胸にかたい決意を秘めたのであった。
 翌朝、もう数時間後にはここを去ろうというとき、マヌエラは絶壁の縁にたっていた。悪魔の尿溜《ムラムブウェジ》[#ルビは「悪魔の尿溜」にかかる]の大景観を紙にとどめようとして、彼女がしきりとスケッチをとっている。そこへ、座間が背後からしのび寄ってきた。陽炎《かげろう》が、まるで焔《ほのお》のようにマヌエラを包んでいる。頭が熱し、瞼《まぶた》が焼けて、じぶんは地獄に墜《お》ちてもマヌエラを天に送ろうと、座間は目を瞑《つぶ》り絶叫に似た叫びをあげていた。
 しかも、マヌエラをみるとまた決意が鈍ってくる。大きな愛だと心をはげまし近寄ってゆくうちに知らず知らず、座間は砂川《サンド・リヴァ》へはいってしまった。そこには殺すものが死に
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