ミび》も中途で消えてしまい、いったいどこが果でどこが底か――この大秘境を測ることさえ許されない。ただ枯れた幹をおとした旧根樹《ニティルダ・アンティクス》の、錯綜《さくそう》の根がゆらぐ間にみえるのだ。強靱《きょうじん》な、ピラミッド型の根が幹を支えているうちに、幹は枯れ、地上に落ちたその残骸は、まるで谿《たに》いっぱいにもつれた蜘蛛《くも》糸をみるようであった。やがてその枯色も、鎖ざしはじめた昆虫霧にうっすらと霞んでしまったのである。――大秘境「悪魔の尿溜《ムラムブウェジ》[#ルビは「悪魔の尿溜」にかかる]」はちらりと裾《すそ》をみせ、それなり千古の神秘を人にみせることをしなかった。
三人はしばらく感慨ぶかげに立っていた。しかし気がつくと、その格闘のまま、ヤンとドドの姿が消えてしまっているのだ。たぶん、ひっ組んだまま陥没地に落ちたのだろうと、マヌエラは気もそぞろであったが、やがて紅い蔓花で花環を編んで、じぶんを救おうとして死んで故郷へもどったドドのために、接吻とともに底しれぬ墓へ投げこんだ。
そうして、歯がぬけたような淋しさが来たが、また陥没がはじまりそうなので此処を引きあげねばならなかった。しかし三人は、その日一日は酔ったような気持でいた。前人未踏の、この東端まできて悪魔の尿溜をのぞいたのは、おそらく有史以来この三人だけかと思うと、自然の尊位と威力を踏みにじった気にもなるが、なによりここを出て人里に帰ることが、いまのところいちばんの問題になっている。
といって、南へゆけばコンゴの「類人猿棲息地帯《ゴリラスツォーネ》」、そこではこの惨苦を繰りかえすにすぎない。してみると、北端にあたる大絶壁へ――いまアメリカ地学協会の探検があるはずだが……。
と、協議がまとまって進むことになったが……、これまでどおり、巨草|荊棘《けいきょく》を切りひらいてゆくのではいく月かかるかも知れない。そのあいだ、この衰弱ではとうてい保つまいし、なによりこの二、三日来|王蛇《ボア》に狙われどおしである。
「ずいぶん、考えりゃ保つもんですわね」
マヌエラが、ボロボロの斧をながめてふうっと吐息をし、なにやら、座間に言えというような目配せをした。すると、座間が胸の迫ったような声で、
「じつはカーク、いまマヌエラとも相談したことだがね。ここで、君一人に自由行動をとってもらいたいのだ」
「なぜだ」
とカークはびっくりして目をみはって、
「あんまり、唐突《だしぬけ》な話で訳がわからんが」
「それは、こういう訳だ。君ならここを抜けだして人里へゆけるだろう。なまじ、僕ら二人という足手まといがあるばかりに、せっかく、ある命を君が失うことになる。お願いだ。明日、僕らにかまわずここを発《た》ってくれないか」
「そうか」
としばらくカークは呆《あき》れたように相手をみていたが、
「なるほど、君らを捨ててゆくのはいと容易《やす》いが、しかし、ここに残ってどうするつもりだ」
「悪魔の尿溜へ、僕とマヌエラが踏みいるつもりなんだ」
「なに」
と、カークもさすがに驚いて、
「じゃ君らは、あの大|陥没地《クレーター》へ身を投げるつもりか……」
「そうだ、初志を貫く。だいたいこれが、僕の因循姑息《いんじゅんこそく》からはじまったことだから、むろん、じぶんが蒔《ま》いた種はじぶんで苅《か》るつもりだよ。マヌエラも、僕と一緒によろこんで死んでくれる。ただ、君だけは友情としても、どうにも僕らの巻添えにはしたくないんだ」
カークはマヌエラを振り向いた。彼女の目は断念《あきら》めきったあとの澄んだ恍惚さを湛《たた》えて、にんまりと座間をみている。おそらく全人類中のたった二人として、悪魔の尿溜《ムラムブウェジ》[#ルビは「悪魔の尿溜」にかかる]の底を踏んだときの二人の目はあの、ペンも想像も絶するおどろくべき怪奇と、また、恋の墓場としてのうつくしい夢をみるだろう。カークは、言葉を絶ってしばらく考えていた。
密林は、死んだような黄昏《たそがれ》の闇のなかを、ときどき王蛇《ボア》がとおるゴウッという響きがする。と、とつぜん、カークがポンと膝《ひざ》をうって言った。
「座間、名案があるぞ。僕にそんな莫迦気《ばかげ》たことを、いわないでもすむようになるぞ」
「えっ、なにがあるんだ?」
「それは、この蔦葛のうえを“Kintefwetefwe《キンテフェテフェ》”に利用するんだ」
「…………」
「つまり、コンゴの土語でいう『自然草の橋』という意味だ。ああ、これまでなぜ気がつかなかったんだろう」
リビングストーンのマヌイエマ探検の部に、その“Kintefwetefwe《キンテフェテフェ》”のことがくわしく記されてある。
――マヌイエマ近傍では、川を覆うて生草の橋ができる場合がある。つまり、両岸から
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