^白な洗いたての敷布《シーツ》のようにどこからどこまで清潔な感じのする娘だ。座間とは婚約の仲、また人道愛の仕事の上でもかたく結びついている。
「先生が、どういう風にドドを観察なさるか、伺いにあがりましたわ」
マヌエラの明るい声の調子が、アッコルティ先生の気分を爽《さわ》やかにしたとみえて、先生はさっそく観察の発表をはじめた。
はじめに尾をさして、いわゆる薦骨奇形の軟尾体《ワイシェ・シュワンツ》だといった。つぎに、全身を覆う密毛がしらべられ、その一本立ての三本くらいを、黒猩々《チンパンジー》特有の排列と説明する。さらに、ドドの後頭部が大部薄くなっているのが、「黒猩々的禿頭《アントロボビテークス・カルヴス》」そっくりながら……耳も、円形の黒猩々耳《チンパンジー・オーレン》。つぎに、眉がある部分の上眼窩弓がたかいのも、黒猩々特有のものだと先生はいう。そうなって、次第にドドは人間黒猩々間の、雑交児ということに証明されそうになってきた。
すると、先生が俄然《がぜん》言葉を改め、ドドの頭上に片手を置いていったのである。
「これがね、いわゆる小頭《ミクロケファレン》というやつだ。つまり、頭骨の発達がなく脳量がない。したがって、智能の度が低いという原人骨同様だ」
原人という言葉にどっと部屋中が騒がしくなった。誰よりも、マヌエラがまっ先に質問をした。
「じゃ、ドドが原人なんでございますね。とうに、数百万年もまえに死滅しているはずの……」
「とにかく、人間黒猩々の雑交児という説に、これはむろん並行していえると思うね。いや、わしは断言しよう。古来、いかなる蛮人にもこれほど下等な頭骨はない――と」
生きている原人、血肉をもった原始人骨――まさに自然界の一大驚異といわなければならない。
では、ドドはどうして生まれ、どこから来……、また純粋の人間とすればどうして数百万年も、固有のかたちが変えられずに伝わったのだろうか。
でまず、ドドを人獣の児として考えてみよう。そうすると、なぜ群居をはなれて彷徨《さまよ》っていたのだろうか。捨てられたか……追放されたか……? あるいは、ずうっと幼少時から孤独でいたとすれば野獣や、王蛇《ボア》が横行する密林でぬけぬけ生きられるわけはない。また、故郷のジャングルをしたう郷愁といったものも、ドドには気振《けぶ》りにさえもみえないのだ。
郷愁を感じない、野生動物がどこにあるだろうか。つかまって、環境がちがったときはどんな生物でも、食物をとらなかったりして郷愁をあらわすものだが、それがドドには不思議にもないのだった。
すると、カークをふり向いてアッコルティ先生がいった。
「まだ捕獲した場所を聴いてなかったね。いったい、このドドをどこで見つけたんだ?」
「それが、ほぼ東経二十八度北緯四度のあたりです。英《イギリス》領スーダンと白《ベルギー》領コンゴの境、……イツーリの類人猿棲息地帯《ゴリラスツォーネ》から北東へ百キロ、『悪魔の尿溜《ムラムブウェジ》[#ルビは「悪魔の尿溜」にかかる]』の魔所へは三十マイル程度でしょう」
悪魔の尿溜《ムラムブウェジ》[#ルビは「悪魔の尿溜」にかかる]――それを聴くと同時に、一座はしいんとなってしまった。ただ、屋根をうつ大雨の音だけが轟《とどろ》いている。
「そうか、悪魔の尿溜のそばか――」
アッコルティ先生もここまで来ると、あっさり断念《あきら》めたように投げやりな口調になった。ドドを、悪魔の尿溜と組合せることは、もう科学者の領域ではなかったからである。
それから先生は、ドドのために急遽《きゅうきょ》帰国する決意をし、あたふたと時計をみながら帰っていった。そのあと、座間とカークが疲れたような目で、ぼんやりと屋並みをながめている。
砂糖菓子のような回教寺院《モスク》の屋根も港の檣群《しょうぐん》も、ゆらゆら雨脚のむこうでいびつな鏡のようにゆれている。そのとき、仏マダガスカル航空《フレンチ・マダガスカルサービス》[#ルビは「仏マダガスカル航空」にかかる]の郵便機が、雨靄《もや》をくぐりくぐり低空をとおってゆく気配。座間は、むっくり体をおこして言った。
「君、あれなんだがね」
「あれって? 飛行機がどうしたというんだね」
「つまり、ドドのことなんだ。ドドは、飛行機をみてもけっして恐がらないのだぜ。かえって、嬉しそうな目付きで、奇声さえあげる。そうかといって、『悪魔の尿溜《ムラムブウェジ》[#ルビは「悪魔の尿溜」にかかる]』の近傍に航空路はないよ。英帝国航空《インペリアル・エアウェーズ》も、フランスの亜弗利加航空《エール・アフリカ》も、それぞれ地図のうえで半度以上も隔っている。奇怪だ。猿人、原人といわれるドドが飛行機に驚かない。それでいて、王蛇《ボア》や豹をみるとひどく恐がる」
「きっ
前へ
次へ
全23ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
小栗 虫太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング