の途《みち》はあれども、余には既に幹枝の必要なきことなれば、余《あま》す手段は安死術のみなりというべし。
――されど、自然は余の触手をまたず、幹枝に大腹水症を発せしめたり。六尺余りに肥大せる腹を抱えて、全身は枯痩し、宛然《さながら》草紙にある餓鬼の姿よりなき幹枝を見れば、ありし日の俤《おもかげ》何処ぞやと嘆ずるのほかなく、転変の鉄鎖の冷たさは、夢幻まさに泡影の如しというべし。
――ここにおいて、三月六日切開手術を行い、腹水中に浮游せる膜嚢数十個を取り出せしも、予後の衰弱のため、その日永眠せり。斯くの如く、余は幹枝に天女の一生を描かせ、一年有余の陶酔を貪りたるものなれば、その終焉《しゅうえん》の様を記憶すべく、坐魚礁研究所を失楽園とは名付けたるものなり――
法水が読み終るのを待って、杏丸医学士は続けた。
「然し、研究の完成と同時に、幹枝以外に二つの屍体を、手に入れることが出来ました。二人とも療養所の入院患者で、一人は黒松重五郎という五十男で稀《めずら》しい松果状結節癩。もう一人は、これがアディソン病という奇病で、副腎の変化から皮膚が鮮かな青銅色になるものでしたが、この方は東海林《
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