して、片言さえも洩らさなかったし、一方法水も、鹿子の不在証明を追求しようともしなかったのである。
 然し、法水は何事か思い付いたと見えて、杏丸を残して、二時間程この室を留守にしていたがやがて戻って来ると、愈《いよいよ》最後の調査を、死蝋室で行うことになった。
 死蝋室は、事件の起った一棟の右手にあって、その室だけには、窓に鎧扉が附いていた。その二重扉の内側には、堕天女よ去れ――と許りに下界を指差している、※[#「りっしんべん」に「刀」、216−下段12]利天の主帝釈《あるじたいしやく》の硝子|画《え》が嵌まっていた。
 そして扉の前に立つと、異様な臭気が流れて来て、その腐敗した卵白のような異臭には、布片で鼻孔を覆わざるを得なかったのである。然し室内には、曽て何人も見なかったであろう所の、幻怪極まりない光景が展開されていた。
 それを、陰惨などというよりも、千怪万状の魁奇《かいき》もここまで来れば、恐怖とか厭悪《えんお》とかいう、感情などは既《とう》に通り越していて、まず一枚の、密飾画然とした神話風景といった方が、適切であるかも知れない。
 扉の右手には、朱丹・群青《ぐんじょう》・黄土・
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