れて初めて知ったというのみの事で、黒松九七郎という癩患者の弟は屍体買入代価の増額を希望しているのみであったが、東海林|泰徳《たいとく》というアディソン病患者の父は、さすが職業が薬剤師だけに、病の性質上死期の早かった点に、濃厚な疑念を抱いているかのような口吻《くちぶり》だった。
所が、最後の番匠鹿子になると、胸に手を当てて、思い出に耽るかのような彼女の口から、影も形もない五人目の人物の存在を、明確に指摘している所の、実に不気味な、目撃談が吐かれて行ったのである。
「たった一目妹を見たいと思ったばかりでした。昨夜一時ごろ、あのひどい濃霧の中を、私は屍蝋室の窓下へ参りました。でどうやらこうやら、鎧窓の桟だけを、水平にする事が出来ましたが見えたのは、嚢《ふくろ》のようなものが浮いている、硝子盤らしいものだけで、それが擦った、燐寸《マッチ》の火に映っただけで御座います。けれども、その時あの室の中に誰かいるような気配が致しました」
「冗談じゃない。三つの死蝋の他誰がいるものですか。あの室は、院長以外には絶対に開けられんのですよ」
杏丸医学士が険相な声を出すと、鹿子はそれを強くいい返して、
「そ
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