たのであるから、当然その一冊も、船長フロストの遭難記にほかならぬのである。
ところが、内容の終わり近くになると、計らずも数ページの驚畏すべき記事が、私の眼を射た。
それは、素朴《そぼく》そのままの、何ら飾り気のない文章で、七年ぶりに帰還した、土人ナガウライの談話と銘打たれてある。
しかし、読みゆくにつれて、私の手は震え、脈が奔馬のように走り始めた。
なぜなら、同人の見聞談として、最初まず、千島ラショワ島に築かれた、峨々《がが》たる岩城《いわしろ》のこと……、また、そこに住む海賊|蘇古根《そこね》三人姉弟のこと……、さらに、その島を望んだヴィッス・ベーリング――(注 ベーリング――。事実はそうでないが、ベーリング海峡の発見者といわれる丁抹《デンマーク》人。一七四一年「聖ピヨトル号」に乗じて、地理学者ステツレル、船長グレプニツキーとともに、ベーリング海峡を縦航したるも、十月五日コマンドルスキー群島付近において難破し、十二月八日壊血病にて斃《たお》る。その島をベーリング島という)が、兼ねて伝え聴きし、黄金郷こそこの島ならんか――と、その事実を、遺書にまで残したことなど、記されているの
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