、書名を『捕鯨行銅版画集《エッチングス・オヴ・ホウェーリング・クルーズ》、|付記、捕鯨略史《ウィズ・エ・ブリーフ・ヒストリー・オヴ・ゼ・ホウェール・フィッシャリー》』という、一八六六年の版、ジェー・アール・ブラウンという人の著書である。
 それには、ヨナと鯨の古版画をはじめとして、それらに入れ混じり、勝川|春亭《しゅんてい》の「品川沖之鯨|高輪《たかなわ》より見る之図」や、歌川|国芳《くによし》の「七浦捕鯨之図」「宮本武蔵巨鯨退治之図」などが挿入《そうにゅう》されてあった。
 しかし、真実の驚きというのは、もう一冊のほうにあって、私は読みゆくにしたがい、容易ならぬ掘り出し物をしたことがわかってきた。
 そのほうは、ずうっと版も古く、書名を『|捕鯨船ブリッグ号難破録《ゼ・ホウェーリング・ディザスター・オヴ・シップ・ブリッグ》』というのである。
 その船の名は、スターバックの『亜米利加《アメリカ》捕鯨史』にも記されているとおりで、一七八四年の夏ボストンに、鯨油六百|樽《バレル》を持ち帰ったのが、最初の記録だった。
 しかし同船は、その後一七八六年に、アリューシャン列島中のアマリア島で難破し
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