って、ともすると消されがちな、角燈を揺らめかしているのでしたが、私は、なんのことなく椅子《いす》にかけていて、いつか通り過ぎた、シベリアの村々を夢見ておりました。すると、霧が細かい滴となってかかる、ガラス戸の向こうに、それはおそろしいものが現われたのです。
 どす黒い、斑点《はんてん》のある、への字形に反りかえった腕が、格ガラスの右端から現われて、今にも、ハンドルに手をかけようとするのです……おお、父はよみがえったのでした。どうあっても、あんな片輪めいた、反り腕の男など、乗組員の中には一人としていないのですから。そう思うと私は、頭の中の血が、サッと心臓に引き揚げたように感じて、クラクラと扉《とびら》によろめきかかりました。そして、呼吸を落ち着け、しっかりしようと努力しながら、扉に当てた椅子《いす》に、いつまでかじりついていたことでしょう。
 しかし、父の腕は、その瞬間限り消えてしまいましたけれど、ふとそれにつれて、私の胸にギスリと突き刺さったものがありました。というのは、海に乗り出すと間もなく、船内に、それは得体の知れない、悪疫《えやみ》がはびこってきたからでした」
「悪疫」
 三人は
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