から」
 女の心臓が、横蔵のそれほど、激しく鼓動してないことは、言葉つきでも知れた。そして、静かに顔をめぐらして、岩城《いわしろ》の明かりを、もの欲しげに見やるのだったが、その時、軍船の舵機《だき》が物のみごとに破壊された。新しい囚虜《とりこ》を得た、歓呼の鯨波《とき》が、ドッといっせいに挙がる。
 おお、魯西亜の軍船アレウート号は、われらが手に落ちた。そして――と横蔵は、ふと恋のなかった自分の過去を、あれこれと描き出すのだった。
 それから、小半刻《こはんとき》ばかりののちに、女はどうやら精気を取りもどしたらしい。岩城の中の一室で三人の姉弟に取り巻かれて、いまや彼女は、薔薇《ばら》色のうねりを頬《ほお》に立てつつあるのだ。
 それは、惹《ひ》きつけられるほどに若い、二十歳ごろの娘だった。
 髪も眉《まゆ》も、薄い口髭《くちひげ》もまったくの緑色で――その不思議な色合いが、この娘を何かしら、神々《こうごう》しく見せるのだった。
 そこは、部屋とはいえ、むしろ岩室と呼ぶほうが似つかわしいであろう。それとも、教坊の陰気臭さが、奇巌《きがん》珍石に奥まられた、岩狭《はざま》の闇《やみ》がそれ
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