上がったものがあった。
 その瞬間横蔵は、眩《くら》み真転《まろば》わんばかりの激動をうけた。平衡を失って、不覚にも彼は、片足を浅瀬の中に突き入れてしまった。
 いまや帆を焼き尽くし、火縄《ひなわ》を失って、軍船は速力さえも減じつつあるのではないか。まさに、追撃を試みる絶好の機会にもかかわらず、なにゆえに横蔵からは、好戦の血が失われてしまったのであろう?
 彼は、眼前の、この世ならぬ妖《あや》しさに蠱惑《こわく》され、自分の幻影を壊すまいとして、そのまましばらくは、じっと姿勢を変えなかったのである。
 それは、眼底の神経が、露出したかと思われるばかりの、鋭い凝視だった。
 頭上の、蒼白《あおじろ》い太陽から降り注ぐ、清冽《せいれつ》な夜気の中で、渚の腐れ藻《も》の間から、一人の女が身をもたげてきた。そして、体を動かすごとに、藻の片々が摺《す》り落ちて、間もなく彼女が、裸体であることがわかった。
 こんな遅い時刻でさえも、中天にただ一つ、つけっ放しになっている蒼いランプは、すんなりした女の姿を、妖精《ようせい》のように見せていた。それがちょうど、透き通った、美しい外套《がいとう》でもある
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