糸杉と無花果《いちじく》とが、土星と木星の所管とされているし、向う側の中央にある合歓樹《ねむのき》は、火星の表徴《シムボル》になっているのだ。またそれを、曼陀羅華《マンドラゴーラ》・矢車草《オーレゴニア》・苦艾《アブサント》と、草木類でも表わすことが出来るけれども……いったいその三外惑星の集合に、どういう意味があるかと云うと、モールレンヴァイデなどの黒呪術的占星学《ブラックマジカル・アストロロジイ》では、それが変死の表徴《シムボル》になっているのだ。ところで君達は、十一世紀|独逸《ドイツ》のニックス教([#ここから割り注]ムンメル湖の水精でニクジーと云う、基督教徒を非常に忌み嫌う妖精を礼拝する悪魔教[#ここで割り注終わり])を知っているかね。あの悪魔教団に属していた毒薬業者の一団は、その三惑星の集合を、纈草《かのこそう》・毒人蔘《ヘムロック》・蜀羊泉《ズルカマラ》の三草で現わしていて、その三つを軒辺《のきべ》に吊し、秘かに毒薬の所在を暗示していたと伝えられている。それが、後世になって三樹の葉に代えられたと云うのだが、さてそこで、その三本の樹を連ねた、三角形と交わるものが何だろうか?」

[#ここから1字下げ、折り返して4字下げ]
(註)(一)纈草。敗醤【オミナエシ】科の薬用植物で、癲癇《てんかん》、ヒステリー痙攣《けいれん》等に特効あるため、学者の星と云われる木星の表徴とす。
[#ここから4字下げ]
(二)毒人蔘。繖形科の毒草にして、コニインを多量に含み、最初運動神経が痳痺[#「痳痺」はママ]するため、妖術師の星と称される土星の表徴とす。
(三)蜀羊泉。茄科の同名毒草にして、その葉には特にソラニン、デュルカマリンを含むものなれば、灼熱感を覚えると同時に中枢神経がたちどころに痳痺[#「痳痺」はママ]するため、火星の表徴とす。
[#ここで字下げ終わり]

 網龕灯《あみがんどう》の赭《あか》黒い灯が、薄く雪の積った聖像の陰影を横に縦に揺り動かして、なんとも云えぬ不気味な生動を与える。また、その光は、法水の鼻孔や口腔を異様に拡大して見せて、いかにも、中世異教精神を語るに適《ふさ》わしい顔貌を作るのだった。しかし、熊城は不審を唱えた。
「だが、胡桃・巴旦杏・桃葉珊瑚《あおき》・水蝋木犀《いぼたのき》の四本では、結局正方形になってしまうぜ」
「いや、それが魚なんだよ」と法水は突飛な言《げん》を吐いた。
「埃及《エジプト》の大占星家ネクタネブスは、毎年ニイルの氾濫を告げる双魚座《ピスケス》を、※[#「χ」の中央に横棒が入った形(fig1317_13.png)、173−10]でなしに※[#「長方形/三角形」(fig1317_14.png)、173−10]という記号で現わしている。と云うのは、いま君の云った正方形が、いわゆる天馬星《ペガスス》の大正方形であって、天馬座《ペガスス》の鞍星《マルカブ》の外二星にアンドロメダ座のアルフェラッツ星を結び付け、そうして出来る正四角形を指しているからなんだ。そして、この三角琴《プサルテリウム》の筋彫《すじぼり》が三角座《トリアングルム》とすれば、その中央に挾まれた聖像は、天馬座《ペガスス》と三角座《トリアングルム》の間にある、双魚座《ピスケス》[#ルビの「ピスケス」は底本では「ピスセス」]ではないだろうか。ところで、一五二四年にもそれがあって、当時有名な占星数学者ストッフレルが再洪水説を称えたと云うほどで、とにかく三つの外惑星が双魚座《ピスケス》と連結するという天体現象は、大凶災の兆《ちょう》とされているのだ。しかし、凶災を人為的に作ろうとするのが、呪詛じゃないか。ともあれ、これを見給え。実は、先刻《さっき》図書室で見たマクドウネルの梵英辞典に、見なれない蔵書印が捺《お》してあった。しかし、いま考えると、それがディグスビイの印らしいので、それから推すとたぶんこの葬龕《カタファルコ》も、あの男の奇異《ふしぎ》な趣味と、病的な性格を語るものに相違ないのだよ」
 と法水が、聖像の周囲《ぐるり》にある雪を払い退《の》けると、鍛鉄の十字架から浮び上った痛ましい全身には、みるみる不思議な変化が現われていった。それは、あるいは彼が魔法を使ったのではないかと疑われたほどに、よもや人間の世界にあろうとは思われぬ奇怪な符号だった。磔身《たくしん》の頭から爪尖《つまさき》までが、白く※[#底本が「ラン」とルビを付した梵字(fig1317_15.png)、174−7]《ラン》形で残されてしまったからだ。しかし、法水は静かに、聖像から変化した不可解な記号の事を説きはじめた。
「ねえ支倉君、黒呪術《ブラックマジック》は異教と基督《キリスト》教を繋ぐ連字符である――とボードレールが云うじゃないか。まさしくこれは、調伏《ちょうぶく》呪語に使う梵語の※[#底本が「ラン」とルビを付した梵字(fig1317_15.png)、174−10]《ラン》の字なんだよ。また、三角琴《プサルテリウム》の※[#「×」の中央よりやや上方に横棒(fig1317_16.png)、174−10]に似た形は、呪詛調伏《アビチャーラカ》の黒色三角炉に、欠いてはならぬ積柴法形《せきさいほうがた》なのだ。チルダースの『呪法僧《アンギラス》』の中に、不空羂索神変真言経《ふくうけんじゃくじんべんしんごんぎょう》の解釈が載っているが、それによると、※[#底本が「ラン」とルビを付した梵字(fig1317_15.png)、174−12]《ラン》は、火壇《かだん》に火天を招く金剛火だ。その字片を※[#「×」の中央よりやや上方に横棒(fig1317_16.png)、174−13]の形に積んだ柴《しば》の下に置いて、それに火を点じ、白夜珠吠陀《シュクラ・ヤジュル・ヴェーダ》の呪文|※[#底本が「オム」とルビを付した梵字(fig1317_17.png)、174−13]《オム》※[#底本が「ア」とルビを付した梵字(fig1317_18.png)、174−13]《ア》※[#底本が「ギア」とルビを付した梵字(fig1317_19.png)、174−13]《ギァ》※[#底本が「ナウ」とルビを付した梵字(fig1317_20.png)、174−13]《ナウ》※[#底本が「エイ」とルビを付した梵字(fig1317_21.png)、174−13]《エイ》※[#底本が「ソワ」とルビを付した梵字(fig1317_22.png)、174−14]《ソワ》※[#底本が「カ」とルビを付した梵字(fig1317_23.png)、174−14]《カ》を唱えると、千古の大史詩『摩訶婆羅多《マハーバーラタ》』の中に現われる毘沙門天《ヴァイシュラヴァナ》の四大鬼将――乾闥婆大刀軍将《げんだつばだいりきぐんしょう》・大竜衆《たつちむーか》・鳩槃荼大臣大将《くばんだだいじんたいしょう》・北方薬叉鬼将の四鬼神が、秘かに毘沙門天《ヴィシュラヴァナ》の統率を脱し来り、また、史詩『羅摩衍那《ラーマーヤナ》』の中に現われる羅刹《らせつ》羅縛拏《ラーヴァナ》も、十の頭《かしら》を振り立て、悪逆火天となって招かれると云うのだ。だから、僕がもし仏教秘密文学の耽溺《たんでき》者だとしたら、毎夜この墓※[#「穴かんむり/石」、174−17]では、眼に見えない符号呪術の火が焚《た》かれていて、黒死館の櫓楼の上を彷徨《ほうこう》する、黒い陰風がある――と結論しなければならないだろう。しかし、とうてい僕には、それを一片の心霊分析としか解釈できない。そして、ディグスビイという神秘的な性格を持つ男が、生前抱いていた意志である――という推断だけに止めておきたいのだ。何故なら熊城君、すでに僕は危険を悟って、心理学の著述などは、ロッジの『レイモンド』ボルマンの『蘇格蘭人《デル・スコッテ》ホーム』の改訂版以後は読まないのだし、また、『妖異評論《オカルト・レヴュー》』の全冊を焼き捨ててしまったほどだからね」
 最後に至って、法水は鉄のような唯物主義者の本領を発揮した。けれども、彼の張りきった絃線のような神経に触れるものは、たちどころに、その場去らず類推の花弁となって開いてしまうのだ。わずか一つの弱音器記号からでも、当の館の人々にさえ顔相《かおかたち》すら知られていない、故人クロード・ディグスビイの驚くべき心理を曝《さら》け出したのであった。それから、法水等は墓地を出て、風雪の中を本館の方に歩んで行ったが、こうして、捜査は夜になるも続行されて、いよいよ、黒死館における神秘の核心をなすと云われる、三人の異国楽人と対決することになった。

      三、莫迦《ばか》、ミュンスターベルヒ!

 一同が再び旧《もと》の室《へや》に戻ると、法水はさっそく真斎を呼ぶように命じた。間もなく、足萎《あしなえ》の老人は四輪車を駆ってやって来たが、以前の生気はどこへやらで、先刻うけた呵責《かしゃく》のため顔は泥色に浮腫《むく》んでいて、まるで別人としか思われぬような憔悴《やつ》れ方だった。この老史学家は指を神経的に慄《ふる》わせ、どことなく憂色を湛えていて、明らかに再度の喚問を忌怖《きふ》するの情を示していた。法水は自分から残酷な生理拷問を課したにかかわらず、空々しく容体を見舞った後で、きりだした。
「実は田郷さん、僕には、この事件が起らない以前から知りたい事があったのですよ。と云うのは、殺されたダンネベルグ夫人をはじめ四人の異国人に関する事なんですが、いったいどうして算哲博士は、あの人達を幼少の頃から養わねばならなかったのでしょうか?」
「それが判れば」と真斎はホッと安堵《あんど》の色を泛《うか》べたが、先刻とは異なり率直な陳述を始めた。「この館が、世間から化物屋敷のようには云われませんじゃろう。御承知かもしれませんが、あの四人の方々は、まだ乳離れもせぬ揺籃の頃、それぞれ本国にいる算哲様の友人の方々から送られてまいったそうです。しかし、日本に着いてからの四十年余りの間と云うものは、確かに美衣美食と高い教程でもって育《はぐく》まれていったのですから、外見だけでは、十分宮廷生活と申せましょう。ですが、儂《わし》にはそう申すよりも、むしろそういう高貴な壁で繞《めぐ》らされた、牢獄と云った方が適《ふさ》わしいような感じがしますのじゃ。ちょうどそれが、「ハイムスクリングラ]([#ここから割り注]オーディン神より創まっている古代諾威王歴代記[#ここで割り注終わり])」にある、僧正テオリディアルの執事そっくりじゃ。あの当時の日払租税のために、一生金勘定をし続けたと云うザエクス爺《おやじ》と同様、あの四人の方々も、この構内から一歩の外出すら許されていなかったのです。それでも、永年の慣習《しきたり》というものは恐ろしいもので、かえって御当人達には、人に接するのを嫌う――いわば厭人《えんじん》とでも云うような傾向が強くなってまいりました。年に一度の演奏会でさえも、招かれた批評家達には、演奏台の上から目礼するのみのことで、演奏が終れば、サッサと自室に引っ込んでしまうといった風なのでした。ですから、あの方々が、何故揺籃のうちにこの館に連れて来られ、そうして鉄の籠の中で、老いの始まるまで過さねばならなかったかということは、もう今日では、過ぎ去った古話《ザガ》にすぎません。ただそういった記録だけを残したままで、算哲様は、そっくりの秘密を墓場の中へ運ばれてしまうのです」
「ああ、ロエブみたいなことを……」と法水は、道化《おどけ》たような嘆息をしたが、「いま貴方は、あの人達の厭人癖を植物向転性《トロピズム》みたいにお考えでしたね。しかし、たぶんそれは、単位の悲劇なんでしょう」
「単位? 無論|四重奏《クワルテット》団としては、一団をなしておられたでしょうが」と真斎は単位と云った法水の言葉に、深遠な意義が潜んでいるのを知らなかった。「ところで、あの方々とお会いになられましたかな。どなたも冷厳なストイシャンです。よしんば傲慢《ごうまん》や冷酷はあっても、あれほど整美された人格が、真性の孤独以外に求められ
前へ 次へ
全70ページ中24ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小栗 虫太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング