し、音響学的な構造は天井にも及んでいて、楕円形の壁面から鍵盤《キイ》にかけて緩斜をなしている。しかもそれがちょうど響板のように、中央に丸孔が空き、その上が長い角柱形の空間になっていた。そして、その両端が、先刻《さっき》前庭《ぜんてい》から見た、十二宮の円華窓《えんげまど》だった。おまけに、黄道上の星宿が描かれている、絵齣《えごま》の一つ一つが、本板から巧妙な構造で遊離しているので、その周囲には、一辺を除いて細い空隙が作られ、しかも、空気の波動につれて微かに振動する。それがなんとなく楽玻璃《グラス・ハーモニカ》のようでもあるが、とにかく、その狭間《はざま》を通過する音は、恐らく弱音器でもかけられたように柔げられるであろうから、鐘鳴器《カリリヨン》特有の残響や、また、協和絃をなしている音ならば、どんなに早い速度で奏したにしても、ある程度までは混乱を防ぎ得るのである。この装置は三十三個の鐘群も同様で、ベルリンのパロヒアル寺院を模本としたものであるが、パロヒアル寺院では、反対にそれが、礼拝堂の内部に向けて作られてある。こうして、法水の調査は円華窓附近にも及んだけれど、わずかに知ったのは、その外側を、尖塔に上る鉄梯子が過《よぎ》っているという一事のみであった。
やがて、法水は私服に命じて戸外に立たしめ、自分は種々と工夫を凝らして鍵盤《キイ》を押し、何より根本の疑義であるところの倍音を証明しようとしたが、その実験はついに空しく終ってしまった。結局、鐘鳴器《カリリヨン》で奏し得る音階が、二オクターヴにすぎないということと、それに、先刻《さっき》聴いた倍音というのが、その上の音階であるという――二つが明らかにされたのみであった。かつて聖アレキセイ寺院の鐘声にも、これとよく似た妖怪的な現象が現われたことがあった。けれども、それは単なる機械学的な問題で、つまり振り鐘の順序にすぎなかったのである。ところが、今度はそれと異なって、第一に三十あまりの音階を決定している――換言すれば、物質構成の大法則であるところの鐘の質量に、そもそも根本の疑惑がこもっているのだ。それゆえ、詮じ詰めてゆくと、結局鐘の鋳造成分を否定するか、それとも、楽音を虚空から掴《つか》み上げた、精霊的な存在があったのではないか――と云うような、極端な結論に行き着いてしまうのも、やむを得ないのであった。こうして、倍音の神秘がいよいよ確定されてしまうと、法水には痛々しい疲労の色が現われ、もはや口を聴く気力さえ尽き果てたように思われた。しかし、考えようによっては、より以上の怪態《けたい》と思われる伸子の失神に、もう一度神経を酷使せねばならぬ義務が残っていた。その頃はもう日没が迫っていて、壮大な結構は幽暗《うすやみ》の中に没し去り、わずかに円華窓から入って来る微かな光のみが、冷たい空気の中で陰々と揺《ゆら》めいていた。その中で、時折翼のような影が過《よぎ》って行くけれども、たぶん大鴉《おおがらす》の群が、円華窓の外を掠《かす》めて、尖塔の振鐘《ピール》の上に戻って行くからであろう。
ところで伸子の状態についても、細叙の必要があると思う。伸子は丸形の廻転椅子に腰だけを残して、そこから下はやや左向きになり、上半身はそれと反対に、幾分|右方《みぎかた》に傾いていて、ガクリと背後にのけ反っている。その倒辺三角形に似た形を見ても、彼女は演奏中に、その姿のままで後方へ倒れたものであることは明らかだった。しかし、不思議な事には、全身にわたって鵜《う》の毛ほどの傷もなく、ただ床へ打ち当てた際に、出来たらしい皮下出血の跡が、わずか後頭部に残されているのみだった。また中毒と思《おぼ》しい徴候も現われていない。両眼も※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《ひら》いているが、活気なく懶《ものう》そうに濁っていて、表情にも緊張がなく、それに、下|顎《あご》だけが開いているところと云い、どことなく悪心《おしん》とでも云ったら当るかもしれない、不快気な表情が残っているように思われた。全身にも、単純失神特有の徴候が現われていて、痙攣《けいれん》の跡もなく、綿のように弛緩しているけれども、不審な事には、仄《ほん》のり脂《あぶら》が浮いている鎧通しだけは、かなり固く握り締めていて、腕を上げて振ってみても、いっこうに掌から外れようとはしない。総体として失神の原因は、伸子の体内に伏在しているものと、思うよりほかにないのであった。法水は心中決するところがあったとみえて、伸子を抱き上げた私服に云った。
「本庁の鑑識医にそう云ってくれ給え。――第一、胃|洗滌《せんでき》をやるように。それから胃中の残留物と尿の検査する事と、婦人科的な観察だ。またもう一つは、全身の圧痛部と筋反射を調べる事なんだ」
そうして、伸子が階下に運ばれてしまうと、法水は一息|莨《たばこ》の烟《けむり》をグイと喫《す》い込んでから、
「ああ、この局面《シチュエーション》は、僕にとうてい集束出来そうもないよ」と弱々しい声で呟《つぶや》くのだった。
「だが、伸子の身体に現われているものだけは簡単じゃないか。なあに、正気に戻れば何もかも判るよ」検事は無雑作に云ったが、法水は満面に懐疑を漲《みなぎ》らせてなおも嘆息を続けた。
「いやどうして、錯雑顛倒しているところは相変らずのものさ。かえってダンネベルグ夫人や、易介よりも難解かもしれない。それが、意地悪く徴候的なものじゃないからだよ。いっこう何もないようでいて、そのくせ矛盾だらけなんだ。とにかく、専門家の鑑識を求めることにしたよ。僕のような浅い知識だけで、どうしてこんな化物みたいな小脳の判断が出来るもんか。なにしろ、筋覚伝導の法則が滅茶滅茶に狂っているんだから」
「しかし、こんな単純なものを……」と熊城が、異議を述べ立てようとすると、法水はいきなり遮って、
「だって内臓にも原因がなく、中毒するような薬物も見つからないとなった日には、それこそ風精天蝎宮《ジルフェスコルピオ》([#ここから割り注]運動神経を管掌す[#ここで割り注終わり])へ消え失せたり――になってしまうぜ」
「冗談じゃない、どこに外力的な原因があるもんか。それに痙攣《けいれん》はないし、明白な失神じゃないか」今度は検事がいがみ掛った。「どうも君は、単純なものにも紆余《うよ》曲折的な観察をするので困るよ」
「勿論明白なものさ。しかし、失神《トランス》――だからこそなんだ。それが精神病理学の領域にあるものなら、古いペッパーの『類症鑑別』一冊だけで、ゆうに片づいてしまうぜ。無論|癲癇《てんかん》でもヒステリー発作でもないよ。また、心神顛倒《エクスタシー》は表情で見当がつくし、類死《カタレプシー》や病的半睡《モービッド・ソムノレンス》や電気睡眠《エレクトリッシュ・シュラフズフト》でもけっしてないのだ」と云って、法水はしばらく天井を仰向いていたが、やがて変化のない裏声で云った。
「ところが支倉《はぜくら》君、失神が下等神経に伝わっても、そういう連中が各々《めいめい》勝手|気儘《きまま》な方向に動いている――それはいったい、どうしたってことなんだい。だから、僕はこういう信念も持たされてしまったのだ。例えば、鎧通しを握っていたことに、有利な説明が付いたとしてもだよ。そうなっても倍音の神秘が露《あば》かれない限りは、当然失神の原因に、自企的な疑いを挾まねばならない――とね。どうだい?」
「そりゃ神話だ。マアしばらく休んだ方がいいよ。君は大変疲れているんだ」と熊城はてんで受付けようとはしなかったが、法水はなおも夢見るような調子で続けた。
「そうだ熊城君、事実それは伝説に違いないのだ。ネゲラインの『北欧伝説学』の中に、その昔|漂浪楽人《スカルド》が唱い歩いたとか云う、ゼッキンゲン侯リュデスハイムの話が載っているんだ。時代はフレデリック([#ここから割り注]第五[#ここで割り注終わり])十字軍の後だがマア聴いてくれ給え。――歌唱詩人《バルド》オスワルドは、ヴェントシン([#ここから割り注]ヒヨスの毛茸ならんと云わる[#ここで割り注終わり])を入れたる酒を飲むと見る間に、抱琴《クロッチ》を抱ける身体波のごとくに揺ぎはじめ、やがて、妃ゲルトルーデの膝に倒る。リュデスハイムは、かねてカルパトス島([#ここから割り注]クリート島の北方[#ここで割り注終わり])の妖術師レベドスよりして、ヴェニトシン向気《こうき》の事を聴きいたれば、ただちに頭《こうべ》を打ち落し、骸《かばね》とともに焚き捨てたり――と。これは漂浪楽人《スカルド》中の詩王イウフェシススの作と云われているが、これを史家ベルフォーレは、十字軍によって北欧に移入された純|亜剌比亜《アラブ》・加勒泥亜《カルデア》呪術の最初の文献だと云い、それが培《つちか》って華《はな》と結んだのがファウスト博士であって、彼こそは中世魔法精神の権化であると結論しているのだ」
「なるほど」と検事は皮肉に笑って、「五月になれば、林檎《りんご》の花が咲き、城内の牛酪《ぎゅうらく》小屋からは性慾的な臭いが訪れて来る。そうなれば、なにしろ亭主が十字軍に行っているのだからね。その留守中に、貞操帯の合鍵を作《こしら》えて、奥方が抒情詩人《ミンネジンゲル》と春戯《いちゃつ》くのもやむを得んだろうよ。だがただしだ。その方向を殺人事件の方に転換してもらおう」
法水は半ば微笑みながら、沈痛な調子で云い返した。
「ずさん[#「ずさん」に傍点]だよ支倉君、君は検事のくせに、病理的心理の研鑽を疎《おろそ》かにしている。もしそうでなければ、『古代丁抹伝説集《パムペピサウ》』などの史詩に現われている妖術精神や、その中に、黴毒《ばいどく》性|癲癇《てんかん》性の人物などがさかんに例証として引かれている――そのくらいの事は、当然憶えてなければならないはずだよ。ところでこのリュデスハイム譚《ものがたり》は、別に引証されてはいないけれども、メールヒェンの『朦朧状態《デームメル・シュテンデ》』を読むと、詩で唱われたオスワルドの喪神状態が、それには科学的に説明されている。その中の単純失神の章に、こうあるのだよ。失神が起ると、大脳作用が一方的に凝集するために、執意はたちまち消え失せてしまって、全身に浮揚感が起ってくる。しかし、一方小脳の作用が停止するのは、やや後であるために、その二つが力学的に作用し合って、無論わずかな間だけれども、全身に横波をうけたような動揺を起す――と云うのだ。ところが、伸子の身体は、その際に自然の法則を無視してしまって、かえって反対の方向に動いているのだよ」と伸子が腰を下していた廻転椅子を、クルッと仰向けにして、その廻転心棒を指差した。「ところで支倉君、僕はいま自然の法則なぞと大袈裟《おおげさ》に云ったけれども、たかがこの椅子の廻転にすぎないのだよ。螺旋《らせん》の方向は、これで見るとおりに、右捻《みぎねじ》だ。そして、心棒が全く螺旋孔《ねじあな》の中に没し去っていて、右へ低くなってゆく廻転は、すでに極限まで詰っている。しかし、一方伸子の肢態《したい》を考えると、腰を座深めに引いて、そこから下の下肢の部分はやや左向きとなり、上半身はそれとは反対に、幾分右へ傾いているのだ。まさにその形は、わずかほど左の方へ廻転しながら倒れたものに違いない。これは、明らかに反則的だ。何故なら、左の方へ廻転すれば、当然椅子が浮いてこなければならないからだ」
「曖昧な反語はいかん」熊城が難色を現わすと、法水はあらゆる観察点を示して、矛盾を明らかにした。
「勿論現在のこの形を、最初からのものとは思っちゃいないさ。しかし、例えば螺旋に余裕があったにしてもだ。失神時の横揺《よこぶれ》ばかりを考えて、それ以外に重量という、垂直に働く力があるのを忘れちゃならん。それがあるので、動揺しながらも、しだいにその方向が決定されてゆく。つまりその振幅が、低下してゆく右の方向へ大きくなるのが当然じゃないか。さらにまた、もう一案引き出して、今度は右へ大きく一廻転してから、現在の位置で螺旋が詰ったもの
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