し。
ガリバルダは逆さになりて殺さるべし。
オリガは眼を覆われて殺さるべし。
旗太郎は宙に浮びて殺さるべし。
易介は挾まれて殺さるべし。
[#ここで字下げ終わり]
「まったく怖ろしい黙示です」とさすがの法水も声を慄《ふる》わせて、「四角の光背は、確か生存者の象徴《シムボル》でしたね。そして、その船形のものは、古代|埃及《エジプト》人が死後生活の中で夢想している、不思議な死者の船だと思いますが」と云うと、鎮子は沈痛な顔をして頷《うなず》いた。
「さようでございます。一人の水夫《かこ》もなく蓮湖《れんこ》の中に浮んでいて、死者がそれに乗ると、その命ずる意志のままに、種々《いろいろ》な舟の機具が独りでに動いて行くというのです。そうして、四角の光背と目前の死者との関係を、どういう意味でお考えになりますか? つまり、博士は永遠にこの館の中で生きているのです。そして、その意志によって独りでに動いて行く死者の船というのが、あのテレーズの人形なのでございます」
[#改丁]
[#ページの左右中央]
第二篇 ファウストの呪文
[#改ページ]
一、Undinus《ウンディヌス》 sich《ジッヒ》 winden《ヴィンデン》(水精《ウンディヌス》よ蜿《うね》くれ)
久我鎮子《くがしずこ》が提示した六|齣《こま》の黙示図は、凄惨冷酷な内容を蔵しながらも、外観はきわめて古拙な線で、しごく飄逸《ユーモラス》な形に描《か》かれていた。が、確かにこの事件において、それがあらゆる要素の根柢をなすものに相違なかった。おそらくこの時機に剔抉《てきけつ》を誤ったなら、この厚い壁は、数千度の訊問検討の後にも現われるであろう。そして、その場で進行を阻《はば》んでしまうことは明らかだった。それなので、鎮子が驚くべき解釈をくわえているうちにも、法水《のりみず》は顎《あご》を胸につけ、眠ったような形で黙考を凝らしていたが、おそらく内心の苦吟は、彼の経験を超絶したものだったろうとおもわれた。事実まったく犯人のいない殺人事件[#「犯人のいない殺人事件」に傍点]――埃及艀《エジプトぶね》と屍様図《しようず》を相関させたところの図読法は、とうてい否定し得べくもなかったのである。ところが意外なことに、やがて正視に復した彼の顔には、みるみる生気が漲《みなぎ》りゆき酷烈な表情が泛《うか》び上った。
「判りましたが……しかし久我さん、この図の原理には、けっしてそんなスウェーデンボルグ神学([#ここから割り注]「黙示録解釈」および「アルカナ・コイレスチア」において、スウェーデンボルグは出埃及記およびヨハネ黙示録の字義解釈に、牽強附会もはなはだしい数読法を用いて、その二つの経典が、後世における歴史的大事変の数々を預言せるものとなせり。[#ここで割り注終わり])はないのですよ。狂ったようなところが、むしろ整然たる論理形式なんです。また、あらゆる現象に通ずるという空間構造の幾何学理論が、やはりこの中でも、絶対不変の単位となっているのです。ですから、この図を宇宙自然界の法則と対称することが出来るとすれば、当然、そこに抽象されるものがなけりゃならん訳でしょう」と法水が、突如前人未踏とでも云いたいところの、超経験的な推理領域に踏み込んでしまったのには、さすがの検事も唖然《あぜん》となってしまった。数学的論理はあらゆる法則の指導原理であると云うけれども、かの「僧正殺人事件《ビショップ・マーダーケース》」においてさえ、リーマン・クリストフェルのテンソルは、単なる犯罪概念を表わすものにすぎなかったではないか。それだのに法水は、それを犯罪分析の実際に応用して、空漠たる思惟抽象の世界に踏み入って行こうとする……。
「ああ私は……」と鎮子は露《む》き出して嘲《わら》った。「それで、ロレンツ収縮の講義を聴いて直線を歪めて書いたと云う、莫迦《ばか》な理学生の話を憶い出しましたわ。それでは、ミンコフスキーの四次元世界に第四容積《フォースディメンション》([#ここから割り注]立体積の中で、霊質のみが滲透的に存在し得るという空隙。[#ここで割り注終わり])を加えたものを、一つ解析的に表わして頂きましょうか」
その嗤《わら》いを法水は眦《めじり》で弾き、まず鎮子を嗜《たしな》めてから、「ところで、宇宙構造推論史の中で一番華やかな頁《ページ》と云えば、さしずめあの仮説決闘《セオリー・デュエル》――空間曲率に関して、アインシュタインとド・ジッターとの間に交された論争でしょうかな。その時ジッターは、空間固有の幾何学的性質によると主張したのでしたが、同時に、アインシュタインの反太陽説も反駁《はんばく》しているのです。ところが久我さん、その二つを対比してみると、そこへ、黙示図の本流が現われてくるのですよ」とさながら
前へ
次へ
全175ページ中23ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
小栗 虫太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング