狂ったのではないかと思われるような言葉を吐きながら、次図を描いて説明を始めた。
[#仮説決闘の図(fig1317_03.png)入る]
「では、最初反太陽説の方から云うと、アインシュタインは、太陽から出た光線が球形宇宙の縁《へり》を廻って、再び旧《もと》の点に帰って来ると云うのです。そして、そのために、最初宇宙の極限に達した時、そこで第一の像を作り、それから、数百万年の旅を続けて球の外圏を廻ってから、今度は背後に当る対向点まで来ると、そこで第二の像を作ると云うのです。しかしその時には、すでに太陽は死滅していて一個の暗黒星にすぎないでしょう。つまり、その映像と対称する実体が、天体としての生存の世界にはないのです。どうでしょう久我さん、実体は死滅しているにもかかわらず過去の映像が現われる[#「実体は死滅しているにもかかわらず過去の映像が現われる」に傍点]――その因果関係が、ちょうどこの場合算哲博士と六人の死者との関係に相似してやしませんか。なるほど、一方は|Å《オングストローム》([#ここから割り注]一耗の一千万分の一[#ここで割り注終わり])であり、片方は百万兆哩《トリリオン・マイル》でしょうが、しかしその対照も、世界空間においては、たかが一微小線分の問題にすぎないのです。それからジッターは、その説をこう訂正しているのですよ。遠くなるほど、螺旋《らせん》状星雲のスペクトル線が赤の方へ移動して行くので、それにつれて、光線の振動週期が遅くなると推断しています。それがために、宇宙の極限に達する頃には光速が零《ゼロ》となり、そこで進行がピタリと止ってしまうというのですよ。ですから、宇宙の縁《へり》に映る像はただ一つで、恐らく実体とは異ならないはずです。そこで僕等は、その二つの理論の中から、黙示図の原理を択ばなければならなくなりました」
「ああ、まるで狂人《きちがい》になるような話じゃないか」熊城《くましろ》はボリボリふけを落しながら呟いた。「サア、そろそろ、天国の蓮台から降りてもらおうか」
法水は熊城の好謔にたまらなく苦笑したが、続いて結論を云った。
「勿論太陽の心霊学から離れて、ジッターの説を人体生理の上に移してみるのです。すると、宇宙の半径を横切って長年月を経過していても、実体と映像が異ならない――その理法が、人間生理のうちで何事を意味しているでしょうか。たとえば、ここに病理的な潜在物があって、それが、発生から生命の終焉《しゅうえん》に至るまで、生育もしなければ減衰もせず、常に不変な形を保っているものと云えば……」
「と云うと」
「それが特異体質なんです」と法水は昂然と云い放った。「恐らくその中には、心筋質肥大のようなものや、あるいは、硬脳膜矢状縫合癒合がないとも限りません。けれども、それが対称的に抽象出来るというのは、つまり人体生理の中にも、自然界の法則が循環しているからなんです。現に体質液《ハーネマン》学派は、生理現象を熱力学の範囲に導入しようとしています。ですから、無機物にすぎない算哲博士に不思議な力を与えたり、人形に遠感的《テレパシック》な性能を想像させるようなものは、つまるところ、犯人の狡猾《こうかつ》な擾乱策《じょうらんさく》にすぎんのですよ。たぶんこの図の死者の船などにも、時間の進行という以外の意味はないでしょう」
特異体質――。論争の綺《きら》びやかな火華にばかり魅せられていて、その蔭に、こうした陰惨な色の燧石《ひうちいし》があろうなどとは、事実夢にも思い及ばぬことだった熊城は神経的に掌《てのひら》の汗を拭きながら、
「なるほど、それなればこそだ――。家族以外にも易介を加えているのは」
「そうなんだ熊城君」と法水は満足気に頷《うなず》いて、「だから、謎は図形の本質にはなくて、むしろ、作画者の意志の方にある。しかし、どう見てもこの医学の幻想《ファンタジイ》は、片々たる良心的な警告文じゃあるまい」
「だが、すこぶる飄逸《ユーモラス》な形じゃないか」と検事は異議を唱えて、「それで露骨な暗示もすっかりおどけてしまってるぜ。犯罪を醸成するような空気は、微塵《みじん》もないと思うよ」と抗弁したが、法水は几帳面《きちょうめん》に自分の説を述べた。
「なるほど、飄逸《ユーモア》や戯喩《ジョーク》は、一種の生理的|洗滌《せんでき》には違いないがね。しかし、感情の捌《は》け口のない人間にとると、それがまたとない危険なものになってしまうんだ。だいたい、一つの世界一つの観念――しかない人間というものは、興味を与えられると、それに向って偏執的に傾倒してしまって、ひたすら逆の形で感応を求めようとする。その倒錯心理だが――それにもしこの図の本質が映ったとしたら、それが最後となって、観察はたちどころに捻《ねじ》れてしまう。そして、様式から個人の
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