はまだ、昨夜の神意審問の記憶に酔っているのですね」
「あれは一つの証詞《あかし》にすぎません。私には既《とう》から、この事件の起ることが予知されていたのです。云い当ててみましょうか。死体はたぶん浄らかな栄光に包まれているはずですわ」
 二人の奇問奇答に茫然《ぼうぜん》としていた矢先だったので、検事と熊城にとると、それがまさに青天の霹靂《へきれき》だった。誰一人知るはずのないあの奇蹟を、この老婦人のみはどうして知っているのであろう。鎮子は続いて云った。が、それは、法水に対する剣《つるぎ》のような試問だった。
「ところで、死体から栄光を放った例を御存じでしょうか」「僧正ウォーターとアレツオ、弁証派《アポロジスト》のマキシムス、アラゴニアの聖《セント》ラケル……もう四人ほどあったと思います。しかし、それ等は要するに、奇蹟売買人の悪業にすぎないことでしょう」と法水も冷たく云い返した。
「それでは、闡明《せんめい》なさるほどの御解釈はないのですね。それから、一八七二年十二月|蘇古蘭《スコットランド》インヴァネスの牧師屍光事件は?」

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(註)(西区アシリアム医事新誌)。ウォルカット牧師は妻アビゲイルと友人スティヴンを伴い、スティヴン所有煉瓦工場の附近なる氷蝕湖カトリンに遊ぶ。しかるに、スティヴンはその三日目に姿を消し、翌年一月十一日夜月明に乗じて湖上に赴きし牧師夫妻は、ついにその夜は帰らず、夜半四、五名の村民が、雨中月没後の湖上遙か栄光に輝ける牧師の死体を発見せるも、畏怖して薄明を待てり。牧師は他殺にて、致命傷は左側より頭蓋腔中に入れる銃創なるも、銃器は発見されず、死体は氷面の窪みの中にありて、その後は栄光の事なかりしも、妻はその夜限り失踪して、ついにスティヴンとともに踪跡を失いたり。
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 法水は鎮子の嘲侮《ちょうぶ》に、やや語気を荒らげて答えた。
「あれはこう解釈しております――牧師は自殺で他の二人は牧師に殺されたのだと。で、それを順序どおり述べますと、最初牧師はスティヴンを殺して、その屍骸を温度の高い休業中の煉瓦炉の中に入れて腐敗を促進させたのです。そして、その間に細孔を無数に穿《うが》った軽量の船形棺を作って、その中に十分腐敗を見定めてから死体を収め、それに長い紐で錘《おもり》を附けて湖底に沈めました。無論数日ならずして腹中に腐敗|瓦斯《ガス》が膨満するとともに、その船形棺は浮き上るものとみなければなりません。そこで牧師は、あの夜、錘の位置から場所を計って氷を砕き、水面に浮んでいる棺の細孔から死体の腹部を刺して瓦斯《ガス》を発散させ、それに火を点じました。御承知のとおり、腐敗瓦斯には沼気《メタン》のような熱の稀薄な可燃性のものが多量にあるのですから、その燐光が、月光で穴の縁に作られている陰影を消し、滑走中の妻を墜し込んだのです。恐らく水中では、頭上の船形棺をとり退けようと※[#「足へん+宛」、第3水準1−92−36]《もが》き苦しんだでしょうが、ついに力尽きて妻は湖底深く沈んで行きました。そうして牧師は、自分の顳※[#「需+頁」、第3水準1−94−6]《こめかみ》を射った拳銃を棺の上に落して、その上に自分も倒れたのですから、その燐光に包まれた死体を、村民達が栄光と誤信したのも無理ではありません。そのうち、瓦斯の減量につれて浮揚性を失った船形棺は、拳銃を載せたまま湖底に横たわっている妻アビゲイルの死体の上に沈んでいったのですが、一方牧師の身体《からだ》は、四肢が氷壁に支えられてそのまま氷上に残ってしまい、やがて雨中の水面には氷が張り詰められてゆきました。恐らく動機は妻とスティヴンとの密通でしょうが、愛人の死体で穴に蓋をしてしまうなんて、なんという悪魔的な復讐でしょう。しかしダンネベルグ夫人のは、そういった蕪雑《ぶざつ》な目撃現象ではありません」
 聴き終ると、鎮子は微かな驚異の色を泛《うか》べたが、別に顔色も変えず、懐中から二枚に折った巻紙|形《がた》の上質紙を取り出した。
「御覧下さいまし。算哲博士のお描きになったこれが、黒死館の邪霊なのでございます。栄光は故《ゆえ》なくして放たれたのではございません」
 それには、折った右側の方に、一艘の埃及《エジプト》船が描かれ、左側には、六つの劃のどのなかにも、四角の光背をつけた博士自身が立っていて、側《かたわら》にある異様な死体を眺めている。そして、その下にグレーテ・ダンネベルグ夫人から易介までの六人の名が記されていて、裏面には、怖ろしい殺人方法を予言した次の章句が書かれてあった。(図表参照)
[#黒死館の邪霊の図(fig1317_02.png)入る]
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グレーテは栄光に輝きて殺さるべし。
オットカールは吊されて殺さるべ
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