な暗闘ならばともかく、あの四人の方々には、遺産という問題はないはずです」
「原因は判らなくても、あの方々が、御自身の生命に危険を感じておられたことだけは確かでございましょう」
「その空気が、今月に入って酷《ひど》くなったと云うのは」
「マア、私がスウェーデンボルグかジョン・ウェスレイ([#ここから割り注]メソジスト教会の創立者[#ここで割り注終わり])でもあるのでしたら」と鎮子は皮肉に云って、
「ダンネベルグ様は、そういう悪気《あっき》のようなものから、なんとかして遁《のが》れたいと、どれほど心をお砕きになったか判りません。そして、その結果があの方の御指導で、昨夜の神意審問の会となって現われたのでございます」
「神意審問とは?」検事には鎮子の黒ずくめの和装が、ぐいと迫ったように感ぜられた。
「算哲様は、異様なものを残して置きました。マックレンブルグ魔法の一つとかで、絞死体の手首を酢漬けにしたものを乾燥した――|栄光の手《ハンド・オブ・グローリー》の一本一本の指の上に、これも絞死罪人の脂肪から作った、死体蝋燭を立てるのです。そして、それに火を点じますと、邪心のある者は身体が竦《すく》んで心気を失ってしまうとか申すそうでございます。で、その会が始まったのは、昨夜の正九時。列席者は当主旗太郎様のほかに四人の方々と、それに、私と紙谷伸子さんとでございました。もっとも、押鐘《おしがね》の奥様(津多子《つたこ》)がしばらく御逗留でしたけれども、昨日は早朝お帰りになりましたので」
「そして、その光は誰を射抜きましたか」
「それが、当の御自身ダンネベルグ様でございました」と鎮子は、低く声を落して慄《ふる》わせた。「あのまたとない光は、昼の光でもなければ夜の光でもございません。ジイジイっと喘鳴《ぜいめい》のようなかすれた音を立てて燃えはじめると、拡がってゆく焔の中で、薄気味悪い蒼鉛色をしたものがメラメラと蠢《うごめ》きはじめるのです。それが、一つ二つと点《とも》されてゆくうちに、私達はまったく周囲の識別を失ってしまい、スウッと宙へ浮き上って行くような気持になりました。ところが、全部を点し終った時に――あの窒息せんばかりの息苦しい瞬間でした。その時ダンネベルグ様は物凄い形相で前方を睨《にら》んで、なんという怖ろしい言葉を叫んだことでしょう。あの方の眼に疑いもなく映ったものがございました」
「何がです?」
「ああ算哲――と叫んだのです。と思うと、バタリとその場へ」
「なに、算哲ですって※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」と法水は、一度は蒼《あお》くなったけれども、「だが、その諷刺《ザチーレ》はあまりに劇的《ドラマチック》ですね。他《ほか》の六人の中から邪悪の存在を発見しようとして、かえって自分自身が倒されるなんて。とにかく|栄光の手《ハンド・オブ・グローリー》を、私の手でもう一度|点《とも》してみましょう。そうしたら、何が算哲博士を……」と彼の本領に返って冷たく云い放った。
「そうすれば、その六人の者が、犬のごとく己れの吐きたるものに帰り来る――とでもお考えなのですか」と鎮子はペテロの言《ことば》を藉《か》りて、痛烈に酬い返した。そして、
「でも、私が徒《いたず》らな神霊陶酔者でないということは、今に段々とお判りになりましょう。ところで、あの方はほどなく意識を回復なさいましたけれども、血の気の失せた顔に滝のような汗を流して――とうとうやって来た。ああ、今夜こそは――と絶望的に身悶えしながら、声を慄《ふる》わせて申されるのです。そして、私と易介を附添いにしてこの室に運んでくれと仰言《おっしゃ》いました。誰も勝手を知らない室でなければ――という、目前に迫った怖ろしいものを何とかして避けたい御心持が、私にはようく読み取ることが出来たのです。それが、かれこれ十時近くでしたろうが、はたしてその夜のうちに、あの方の恐怖が実現されたのでございます」
「しかし、何が算哲と叫ばせたものでしょうな」と法水は再び疑念を繰り返してから、「実は、夫人が断末魔にテレーズと書いたメモが、寝台の下に落ちていたのですよ。ですから、幻覚を起すような生理か、何か精神に異常らしいところでも……。時に、貴女はヴルフェンをお読みになったことがありますか」
その時、鎮子の眼に不思議な輝きが現われて、
「さよう、五十歳変質説もこの際確かに一説でしょう。それに、外見では判らない癲癇《てんかん》発作がありますからね。けれども、あの時は冴え切ったほどに正確でございました」とキッパリ云い切ってから、「それから、あの方は十一時頃までお寝みになりましたが、お目醒めになると咽喉《のど》が乾くと仰言《おっしゃ》ったので、そのときあの果物皿を、易介が広間《サロン》から持ってまいったのです」と云って熊城の眼が急性
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