だが、なんという莫迦《ばか》な奴《やつ》だろう。彼奴《あいつ》は、自分の見世物的な特徴に気がつかないのだ」
 法水はその間、軽蔑したように相手を見ていたが、
「そうなるかねえ」と一言反対の見解を仄《ほの》めかしただけで、像の方に歩いて行った。そして、立法者《スクライブ》の跏像と背中を合わせている傴僂の前に立つと、
「オヤオヤ、この傴僂は療《なお》っているんだぜ。不思議な暗合じゃないか。扉の浮彫では耶蘇に治療をうけているのが、内部《なか》に入ると、すっかり全快している。そしてあの男は、もうたぶん唖《おし》にちがいないのだ」と最後の一言をきわめて強い語気で云ったが、にわかに悪寒を覚えたような顔付になって、物腰に神経的なものが現われてきた。
 しかし、その像には依然として変りはなく、扁平な大きな頭を持った傴僂《せむし》が、細く下った眼尻に狡《ずる》そうな笑を湛えているにすぎなかった。その間、何やら認《したた》めていた検事は、法水を指《さし》招いて、卓上の紙片を示した。それには次のような箇条書で、検事の質問が記されてあった。
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一、法水は大階段の上で、常態ではとうてい聞えぬ音響を召使が聴いたのを知ったと云う――その結論は?
二、法水は拱廊《そでろうか》で何を見たのであるか?
三、法水が卓子灯《スタンド》を点けて、床を計ったのは?
四、法水はテレーズ人形の室の鍵に、何故逆説的な解釈をしようと、苦しんでいるのであるか?
五、法水は何故に家族の訊問を急がないのか?
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 読み終ると、法水は莞爾《にこり》として、一・二・五の下に|――《ダッシュ》を引いて解答と書き、もし万に一つの幸い吾にあらば[#「もし万に一つの幸い吾にあらば」に傍点]、犯人を指摘する人物を発見するやも知れず[#「犯人を指摘する人物を発見するやも知れず」に傍点](第二あるいは第三の事件)――と続いて認《したた》めた。検事が吃驚《びっくり》して顔を上げると、法水はさらに第六の質問と標題を打って、次の一行を書き加えた。――甲冑武者はいかなる目的の下に、階段の裾を離れねばならなかったのだろう?
「それは、君がもう」と検事は眼を瞠《みは》って反問したが、その時|扉《ドア》が静かに開いて、最初呼ばれた図書掛りの久我鎮子が入って来た。

    三、屍光|故《ゆえ》なくしては

 久我鎮子の年齢は、五十を過ぎて二つ三つと思われたが、かつて見たことのない典雅な風貌を具えた婦人だった。まるで鑿《のみ》ででも仕上げたように、繊細をきわめた顔面の諸線は、容易に求められない儀容と云うのほかはなかった。それが時折引き締ると、そこから、この老婦人の、動じない鉄のような意志が現われて、隠遁《いんとん》的な静かな影の中から、焔《ほのお》のようなものがメラメラと立ち上るような思いがするのだった。法水は何より先に、この婦人の精神的な深さと、総身から滲み出てくる、物々しいまでの圧力に打たれざるを得なかった。
「貴方《あなた》は、この室《へや》にどうして調度が少ないのか、お訊きになりたいのでしょう」鎮子が最初発した言葉が、こうであった。
「今まで、空室《あきしつ》だったのでは」と検事が口を挾むと、
「そう申すよりも、開けずの間と呼びました方が」と鎮子は無遠慮な訂正をして、帯の間から取り出した細巻に火を点じた。「実は、お聴き及びでもございましょうが、あの変死事件――それが三度とも続けてこの室に起ったからでございます。ですから、算哲様の自殺を最後として、この室を永久に閉じてしまうことになりました。この彫像と寝台だけは、それ以前からある調度だと申されておりますが」
「開けずの間に」法水は複雑な表情を泛《うか》べて、「その開けずの間が、昨夜は、どうして開かれたのです?」
「ダンネベルグ夫人のお命令《いいつけ》でした。あの方の怯《おび》えきったお心は、昨夜最後の避難所をここへ求めずにはいられなかったのです」と凄気の罩《こ》もった言葉を冒頭にして、鎮子はまず、館の中へ磅※[#「石+(蒲/寸)」、第3水準1−89−18]《ほうはく》と漲《みなぎ》ってきた異様な雰囲気を語りはじめた。
「算哲様がお歿《な》くなりになってから、御家族の誰もかもが、落着きを失ってまいりました。それまでは口争い一つしたことのない四人の外人の方も、しだいに言葉数が少なくなって、お互いに警戒するような素振《そぶ》りが日増しに募ってゆきました。そして、今月に入ると、誰方《どなた》も滅多にお室《へや》から出ないようになり、ことにダンネベルグ様の御様子は、ほとんど狂的としか思われません。御信頼なさっている私か易介のほかには、誰にも食事さえ運ばせなくなりました」
「その恐怖の原因に、貴女は何か解釈がおつきですかな。個人的
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