ウにある睡椅子《ねむりいす》に腰を下していて、顔を両膝の間に落し、その顳※[#「需+頁」、第3水準1−94−6]《こめかみ》を両の拳《こぶし》で犇《ひし》と押えていた。そのグローマン風に分けた長い銀色をした頭髪《かみのけ》の下には、狂暴な光に燃えて紅い※[#「火+畏」、第3水準1−87−57]《おき》を凝然《じいっ》と瞶《みつ》めている二つの眼があった。いつもなら、あの憂鬱な厭世家めいたレヴェズ――いまその全身を、かつて見るを得なかった激情的なものが覆い包んでいる。彼は絶えず、小びんの毛を掻き毟《むし》っては荒い吐息をつき、また、それにつれて刻み畳まれた皺《しわ》が、ひくひくと顔一面に引っ痙《つ》れくねってゆくのだった。その妖怪めいた醜さ――とうていそのような頭蓋骨の下には、平静とか調和とか云うものが、存し得よう道理はないのである。たしか、レヴェズの心中には、何か一つの狂的な憑着《ひょうちゃく》があるに相違ない。そして、それがこの中老紳士を、さながら獣のように喘《あえ》ぎ狂わせているらしく思われるのだった。
 しかし、法水を見ると、その眼から懊悩《おうのう》の影が消えて、レヴェズは朦朧《もうろう》と山のように立ち上った。その変化《うつりかわり》には、まるで、別個のレヴェズが現われたのではないか――と思われたほどに鮮かなものがあった。また、態度にも意外とか嫌悪とか云うものがなくて、相変らず白っぽい霞《かすみ》のかかったような、それでいて、その顔の見えない方の側には、悪狡《わるがしこ》い片眼でも動いていそうな……という、いつも見る茫漠《ぼうばく》とした薄気味悪さで、またそれには、法水の無作法を責めるような、峻厳な素振もないのであった。まったく、レヴェズの異風な性格には、文字どおりの怪物という以外に評し得ようもないであろう。
 その室《へや》は、雷文様の浮彫にモスク風を加味した|面取作り《ラスチック・スタイル》で、三つ並びの角張った稜《りょう》が、壁から天井まで並行な襞《ひだ》をなし、その多くの襞が格子を組んでいる天井の中央からは、十三燭形の古風な装飾灯《シャンデリヤ》が下っていた。そして、妙に妖怪めいた黄色っぽい光が、そこから床の調度類に降り注がれているのだった。法水は叩《ノック》しなかったことを鄭重《ていちょう》に詫びてから、レヴェズと向き合わせの長椅子に腰を下した。すると、まずレヴェズの方で、老獪《ろうかい》そうな空咳《からせき》を一つしてから切り出した。
「時に、先刻遺言書を開封なさったそうですな。すると、この室《へや》にお出でになったのも、儂《わし》にその内容を講釈なさろうというおつもりで。ハハハハ、だが法水さん、たしかあれは莫迦《ばか》げた遊戯《ゲーム》のはずで、いや今ですからお話しますがね。実を云いますと、開封すなわち遺言の実行なのです。つまり、あれには期限の到来を示す意味しかなくて、しかも、その内容は即刻実行されねばならんのですよ」
「なるほど……。いかにもあのままでは、偏見はおろか、錯覚さえも起す余地はありますまい。だが、しかしレヴェズさん、とうとうあの遺言書以外に、僕は動機の深淵を探り当てましたよ」と法水は、微笑の中に妙に棘々《とげとげ》しいものを隠して、相手に向けた。「ところで、それについて、ぜひにも貴方の御助力が必要になりましてな。実を云うと、その底深い淵の中から、奇異《ふしぎ》な童謡が響いてくるのを聴いたのでしたよ。ああ、あの童謡――それは事実僕の幻聴ではなかったのです。勿論、それ自らはすこぶる非論理的なもので、けっして単独では測定を許されません。しかし、その射影を追うて観察してゆくうちに、偶然その中から、一つの定数が発見されたのでした。つまりレヴェズさん、その値《ヴァリュー》を、貴方に決定して頂きたいと思うのですが……」
「なに、奇異《ふしぎ》な童謡を※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」といったんは吃驚《びっくり》して、煖炉の※[#「火+畏」、第3水準1−87−57]《おき》から法水の顔に視線を跳ね上げたが、「ああ、判りましたとも法水さん、とにかく、見え透いた芝居だけは、やめにしてもらいますかな。なんで、貴方のような兇猛無比――まるでケックスホルム擲弾《てきだん》兵みたいな方が。唱《うた》うに事欠いて惨めな牧歌《マドリガーレ》とは……。ハハハハ、無双の人よ! 冀《こいねがわ》くは、威風堂々《マエステヴォルメンテ》とあれ!」と相手の策謀を見透かして、レヴェズは痛烈な皮肉を放った。そして、早くも警戒の墻壁《しょうへき》を築いてしまったのである。しかし、法水は微動もせぬ白々しさで、いよいよ冷静の度を深めていった。
「なるほど、僕の弾き出しが、幾分|表情的《エスプレッシヴォ》に過ぎたかもしれません。しかし、こう云
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