^ー・サープライズ》なんだよ。あれは、バロック時代に盛った悪趣味の産物なんだが、あれには水圧が利用されていて、誰か一定の距離に近づく者があると、その側に当る群像から、不意に水煙が上るという装置になっているのだ。ところが、この窓硝子を見ると、まだ生々しげな飛沫の跡が残されている。してみると、きわめて近い時間のうちに、あの噴泉に近づいて、水煙を上げさせたものがなけりゃならない。勿論それだけなら、さして怪しむべき事でもないだろう。ところが、今日は微風もないのだ。そうなると、飛沫がここまで何故に来たか――という疑問が起ってくる。支倉君、それが、また実に面白い例題なんだよ」と続いて云いかけた法水の顔に、みるみる暗影が差してゆき、彼は過敏そうに眼を光らせた。「とにかく、ライプチッヒ派に云わせたら、今日の犯罪状況《クリミナル・ジチュアチヨン》は|きわめて単純なり《ゼール・シュリヒト》――と云うところだろう。何者かが妖怪的な潜入をして、あの赤毛の猶太《ユダヤ》婆の後頭部を狙った。そして、射損ずると同時に、その姿が掻き消えてしまった――と。勿論、その不可解きわまる侵入には、あの Behind《ビハインド》 stairs《ステイアス》([#ここから割り注]大階段の裏[#ここで割り注終わり])の一語が、一脈の希望を持たせるだろう。けれども、僕の予感が狂わない限りは、仮令《たとえ》現象的に解決してもだよ。今日の出来事を機縁として、この事件の目隠しが実に厚くなるだろうと思われるのだ。あの水煙――それを神秘的に云えば、水精《ジルフェ》が火精《ザラマンダー》に代り、しかも射損じたのだ――と」
「また、妖精山《ハルツ》風景かい。だがいったい、そんなことを本気で云うのかね」検事は莨《たばこ》の端をグイと噛んで、非難の矢を放った。法水は指先を神経的に動かして、窓框《まどがまち》を叩きながら、
「そうだとも。あの愛すべき天邪鬼《あまのじゃく》には、しだいに黙示図の啓示を無視してゆく傾向がある。つまり、黒死館殺人事件根元の教本《テキスト》さえ、玩弄してるんだぜ。ガリバルダは逆さになって殺さるべし――それは伸子の失神姿体に現われている。それから、眼を覆われて殺さるべきはずのクリヴォフが危なく宙に浮んで[#「宙に浮んで」に傍点]殺されるところだったのだ。その時、宙高くに上った驚駭噴泉《ウォーター・サープライズ》の水煙が、眼に見えない手で導かれたのだよ。そして、この室の窓に、おどろと漂い寄って来たものがあったのだ。いいかね支倉君、それがこの事件の悪魔学《デモノロジイ》なんだぜ。病的な、しかもこれほど公式的な符号が、事実偶然にそろうものだろうか」
その一事は、かつて検事が、疑問一覧表の中に加えたほどで、磅※[#「石+(蒲/寸)」、第3水準1−89−18]《ほうはく》と本体を隔てている捕捉し難い霧のようなものだった。しかし、こう法水から明らさまに指摘されてしまうと、この事件の犯罪現象よりも、その中に陰々とした姿で浮動している瘴気《しょうき》のようなものの方に、より以上|慄然《ぞっ》とくるものを覚えるのだった。が、その時|扉《ドア》が開いて、私服に護衛されたセレナ夫人とレヴェズ氏が入って来た。ところが、入りしなに三人の沈鬱な様子を一瞥《いちべつ》したとみえて、あの見たところ温和そうなセレナ夫人が、碌々《ろくろく》に挨拶も返さず、石卓の上に荒々しい片手突きをして云った。
「ああ、相も変らず高雅な団欒《だんらん》でございますことね。法水さん、貴方はあの兇悪な人形使いを――津多子さんをお調べになりまして」
「なに、押鐘津多子を※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」それには、法水もさすがに驚かされたらしかった。「すると、貴方がたを殺すとでも云いましたかな。いや、事実あの方には、とうてい打ち壊すことの出来ない障壁があるのです」
それに、レヴェズ氏が割って入った。そして、相変らず揉み手をしながら、阿《おもね》るような鈍い柔らか味のある調子で云った。
「ですが法水さん、その障壁と云うのが、儂《わし》どもには心理的に築かれておりますのでな。お聴き及びでしょうが、あのかたは、御夫君もあり自邸もあるにかかわらず、約一月ほどまえから、この館に滞在しておるのです。だいたい理由もないのに、御自分の住居《すまい》を離れて、何のために……いや、まったく子供っぽい想像ですが」
それを法水は押冠せるように、「いや、その子供なんですよ。だいたい人生の中で、子供ほど作虐的《ザディスティッシュ》なものはないでしょうからな」と突き刺すような皮肉をレヴェズ氏に送ってから、「時にレヴェズさん、いつぞや――|確かそこにあるは薔薇なり、その附近には鳥の声は絶えて響かず《ドッホ・ローゼン・ジンテス・ウォバイ・カイン・リード・
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