ヘ、カルデア象形文字に魚形の語源があって※[#ヘブライ文字「NUN」(fig1317_37.png)、278−2]《ヌン》。そして、最後の宝瓶宮《アクアリウス》の水瓶《みずがめ》形が※[#ヘブライ文字「TAV」(fig1317_38.png)、278−2]《タウ》となって、それで、形体的解読の全部が終るのである。さてそうしてから、その八つの希伯来《ヘブライ》文字を、それぞれに語源をなしている現在のABC《エービーシー》に変えてゆくと([#ここから割り注]以下既記の順序どおり[#ここで割り注終わり])、結局(S. L. Aa. I. H. A. N. T.)となるけれども、まだ、十二宮《ゾーディアック》には、磨羯宮《カプリコルヌス》・天秤宮《リプラ》・巨蟹宮《カンセル》・白羊宮《アリース》と、以上の四座が残されている。それに法水は、上図どおりのフリーメーソンABC《エービーシー》を当てたのだ。
それによると、磨羯宮《カプリコルヌス》のL形がB、天秤宮《リプラ》の※[#「長方形」(fig1317_39.png)、278−8]形がD、巨蟹宮《カンケル》の※[#「□<・」(fig1317_40.png)、278−8]形がR、そして、白羊宮《アリエス》の※[#「Π」に似た形(fig1317_41.png)、278−9]がEとなる。それを、さらに法水は、フリーメーソン暗号のもう一つの法である交錯線《ジグザグ》式([#ここから割り注]ジグザグ記法―。この方法は、アテネの戦術家エーネアスが、自著 Poliorcetes 中の第三十一章に記載せしに始まる。方眼紙にABCを任意に排列し、それを先方に通じて置いて、通信は、それを連らねるジグザグの線のみを以てす[#ここで割り注終わり])を用いて、磨羯宮《カプリコルヌス》のBから始まっている線状の空隙を辿っていった。そうして、ついに混乱を整理して、秘密ABCの排列を整えることが出来た。そこに、検事と熊城は、不意に迷路の彼方で闇黒界の中に差し込んできた一条の光明を認めたのであった。その神々しい光は、この事件に犯罪現実として現われた、十指にあまる非合理性を、必ずや転覆するものに相違ないのである。法水の驚嘆すべき解析によって、黒死館殺人事件は、ついに絶望視されていた終幕に入ったのではあるまいか。何故なら、その解答が Behind stairs《ビハインド・ステイヤス》 すなわち大階段の裏[#「大階段の裏」に傍点]だったからだ。解読を終ると法水は静かに云った。
「そこで、大階段の裏――という意味を詮索してみたが、それには、ほとんど疑惑を差し挾む余地はない。あそこには、テレーズ人形を入れてある室と、それに隣り合っている小部屋しかないからだ。それに、恐らくその解答も、大時代な秘密築城《ボーデルヴィッツ》風景にすぎまいと思うね――隠扉《かくしど》、坑道。ハハハハハ、だいたいどういう意志で、ディグスビイが十二宮《ゾーディアック》に秘密記法を残したろうと、そんなことはこの際問題ではない。サア、さっそくこれから黒死館に行って、クリヴォフの|肉附け《モデリング》をやろうじゃないか」と法水が喫《す》いさしを灰皿の上で揉み潰すと、検事は少女《おとめ》のように顔を紅くして、法水に云った。
「ああ、今日の君はロバチェフスキイ([#ここから割り注]非ユークリッド幾何の創始者[#ここで割り注終わり])だよ。いかにも、天狼星《シリウス》の最大視差《マキシマム・パララックス》が計算されたのだから!」
「いや、その功労なら、シュニッツラーに帰してもらおう」法水はすこぶる芝居がかった身振をして、「不在証明《アリバイ》、採証、検出――もうそんなものは、維納《ウインナ》第四学派以後の捜査法では意味はない。心理分析《プシヒョアナリーゼ》だ。犯人の神経病的天性を探ることと、その狂言の世界を一つの心像鏡として観察する――その二点に尽きる。ねえ支倉君、心像《ゼーレ》は広い一つの国じゃないか。それは混沌《ダス・カーオス》でもあり、|またほんの作りもの《ヌール・キュンストリッヘス》でもあるのだ」とシュニッツラーを即興的に焼直したのを口吟《くちずさ》んでから、彼は一つ大きな伸びをして立ち上った。
「サア熊城君、終幕の緞帳《カーテン》を上げてくれ給え。恐らく今度の幕が、僕の戴冠式になるだろうからね」
ところがその時、喝采が意外な場所から起った。突然電話の鈴《ベル》が鳴って、その一瞬を境に、事態が急転してしまった。クリヴォフ夫人に帰納されていった法水の超人的な解析も、この底知れない恐怖悲劇にとっては、たかが一場の間狂言《ツヴィッシェンシュピール》にすぎなかったのである。法水は、静かに受話器を置いた。そして、血の気の失せきった顔を二人に向けて、なんとも云えぬ悲痛
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