A風精《ジルフス》に関する問いを発したのだ。では何故かと云うに、僕がそれ以前に図書室を調査した時、ポープ、ファルケ、レナウなどの詩集が、最近に繙《ひもと》かれていたのを知ったからだよ。つまり、ポープの『|髪盗み《レイプ・オヴ・ゼ・ロック》』の中には、風精《ジルフス》について、いかにも虚妄《うそ》を構成するに適《ふさ》わしい記述があるからなんだ。勿論、僕が求めているのは、犯人の天稟学《ベガーブングスレーレ》だったのさ。あの中にある風精《ジルフェ》の印象を一つに集めて、それに観照の姿を浮ばしめる――その狂言の世界だ。けっして、あの狂《きちがい》詩人が、単に一個の想い出の画を描くだけで、満足するものではないと思ったからだ。そこで、僕は固唾《かたず》を嚥《の》んだ。そして、あの陰険酷烈をきわめたクリヴォフの陳述の中から、とうとう犯人の姿を掴まえることが出来たのだよ」と法水の顔には、さも当時の昂奮を回想するような疲労の色が浮んだ。けれども、彼は言《ことば》を次いで、いよいよクリヴォフ夫人を犯人に指摘しようとする、「|髪盗み《レイプ・オブ・ゼ・ロック》」の一文に解析の刀《メス》を下した。
「ところが、その解答はすこぶる簡単なんだよ。『|髪盗み《レイプ・オブ・ゼ・ロック》』の第二節には、風精《ジルフス》の部下である四人の小妖精《フェアリー》が現われる。その第一が Crispissa《クリスピッサ》 で、髪を|櫛けずる《クリスプス》妖精だ。それが、クリヴォフ夫人の洗髪《あらいがみ》を怪しい男が縛りつけた――という個所《ところ》に当る。その次は、Zephyretta《ゼフィレッタ》、すなわちそよ吹く風で[#「そよ吹く風で」に傍点]、その男が扉《ドア》の方へ遠ざかって行く――ところの記述の中に出てくる。それから三番目は、Momentilla《モメンティラ》 すなわち刻々に動くもので[#「刻々に動くもので」に傍点]、眼を覚まして夫人が見ようとしたという枕元の時計に相当するのだ。そして、最後が、Brilliante《ブリリアンテ》 すなわち輝くもの[#「輝くもの」に傍点]だが、それをクリヴォフ夫人は、怪しい男の形容に用いて、眼が真珠のように輝いていた――と云っている。けれども、それにはもう一側面の見方もあって、その真珠《パール》という言葉が、古語で白内障《そこひ》を表わしていることが判ると、右眼の白内障《そこひ》が因で舞台を退いた押鐘津多子が、それに髣髴《ほうふつ》となってくるのだ。しかし、いずれにしても、そういうクリヴォフ夫人の心像を、さらに結論として確実にするものがあった。つまり、ある一点に向って、以上四つの既知数が綜合されていったのだが……それは、ほかでもない夫人固有の病理現象――すなわち脊髄癆なんだよ。あの時クリヴォフ夫人は、眼を醒ました時に、胸のあたりで寝衣《ねまき》の両端が止められていたように感じた――と云った。けれども、あの病特有の輪状感覚([#ここから割り注]胸部に輪形のものが繞っているように覚えるという一徴候[#ここで割り注終わり])を考えると、そういう装飾めいた陳述をした原因が、あるいは、日常経験している感覚から発しているのではないかと疑われてくるだろう。それを僕は、あの虚言を築き上げた根本の恒数《コンスタント》だと信じているのだ」
熊城は凝然《じいっ》と考えに沈みながらしばらく莨《たばこ》を喫《ふ》かしていたが、やがて法水に向けた眼には、濃い非難の色が浮んでいた。しかし、彼は稀《めず》らしく静かに云った。
「なるほど、君の云う理論はよく判った。けれども、なにより僕等が欲しいのは、たった一つでも、完全な刑法的意義なんだよ。つまり、天狼星《シリウス》の最大視差《マキシマム・パララックス》よりも、それを構成している物質の内容なんだ。云い換えれば、それぞれの犯罪現象に、君の闡明《せんめい》を要求したいのだよ」
[#十二宮の円華窓の図(fig1317_29.png)入る]
「それでは」法水は満足そうに頷《うなず》いて、事務机の抽斗《ひきだし》から一葉の写真を取り出した。「いよいよ最後の切札を出すことにするかな。ところでこの写真は、鐘鳴器《カリリヨン》室の頭上に開いている十二宮の円華窓《えんげまど》なんだが、僕は一瞥《いちべつ》すると同時に、気がついた。これもまた、棺龕《カタファルコ》十字架と同様、設計者クロード・ディグスビイが残した秘密記法《クリプトグラフィー》だ――と。何故なら、通例では、春分点のある白羊宮《アリエス》が円の中心になっているのだけれども、これには磨羯宮《カプリコルヌス》が代っている。また、縦横に馳《は》せ違っているジグザグの空隙にも、鐘鳴器《カリルロン》の残響を緩和するという性能以外に、なんらかの意味がなくてはならぬと
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