迺kはやめてもらおう。それほど算哲の遺骸が気になるのだったら、その発掘は、この事件の大詰《おおづめ》が済んでからのことにしようじゃないか」
「うん、神経かもしれないが。けっして小説的な空想じゃないよ。結局この神秘的な事件が、そこまで辿《たど》り着いて行きそうな気がするだけだけどもね」とそれなりで検事は、彼の譫妄《うわごと》めいたものを口には出さなかったけれども、それには背後から追い迫って来る、悪夢のような不思議な力が潜んでいた。割合夢想的な法水でさえも、その――ディグスビイの生死いかんにかけた疑問と算哲の遺骸発掘――という二つの提題からは、瞬間ではあったが、疼《うず》き上げてくるようなものを感じたことは事実だった。検事は椅子をグイと後に倒して、なおも嘆息を続けた。
「ああ、今度は火精《ザラマンダー》か※[#感嘆符疑問符、1−8−78] すると、拳銃《ピストル》か石火矢かい。それとも、古臭いスナイドル銃か四十二|磅《ポンド》砲でも向けようという寸法かね」
法水はその時不意に瞼《まぶた》を開いて、唆《そそ》られたように半身を卓上に乗り出した。
「四十二|磅《ポンド》の加農砲《キャノン》! そうだ支倉《はぜくら》君。しかし、君がそれを意識して云ったのなら、たいしたものだよ。今度の火精《ザラマンダー》には、けっして今までのような陰険|朦朧《もうろう》たるものはないと思うのだ。きっと犯人の古典《クラシック》好みから、ロドマンの円弾《まるだま》が海盤車《ひとで》のような白煙を上げて炸裂《さくれつ》するだろうよ」
「ああ、相変らず豪壮な喜歌劇《オペレッタ》かね。それなら、どうでもいいが」と熊城はいったん忌々《いまいま》しそうに舌打ちしたが、坐り直した。「しかし、論拠のあるものなら、一応は聴かせてもらおう」
「勿論あるともさ」法水は無雑作に頷《うなず》いたが、その顔には制しきれない昂奮の色が現われていた。「と云うのは、今度の火精《ザラマンダー》だけに、水精《ウンディヌス》・風精《ジルフス》――と前例のある、性別転換が行われてないという事なんだ。ところで、あの五芒星呪文に現われている四つの精霊だが、それぞれに水精《ウンディネ》・風精《ジルフェ》・火精《ザラマンダー》・地精《コボルト》――と、物質構造の四大要素を代表している。云うまでもなく、中世の錬金道士《パラツェリスト》が仮想していた、元素精霊《エレメンタリー・スピリット》には違いない。そして今までは、水精《ウンディヌス》と扉を開いた水、風神《ジルフス》と倍音演奏――と云っただけの、云わば要素的な符合しか判ってはいなかったのだ。けれども、いったんそれに性別転換の解釈を加えると、あのいかにも秘密教《エルメチスム》めいていたものが、たちどころに公式化されてしまうのだ。ねえ熊城君、水精《ウンディヌス》と男性に変えなければ、どうしてあの扉《ドア》を開くことが出来なかったのだろうか。そこに、犯罪方程式の一部が精密な形で透し見えていたのを、僕等は、今まで何故に看過していたのだろうか」
「なに犯罪方程式※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」法水の意外な言《ことば》に、熊城は胸を灰だらけにして叫んだ。けれども、だいたいが真理などと云うものは、往々に、牽強附会この上なしの滑稽劇《バーレスク》にすぎない場合がある。しかも、きまっていつも、それは平凡な形で足下に落ちているものではないか。続いて、法水が曝露したその一側面と云うのが、いかに二人を唖然たらしめたことか……。
「ところで君は、スピルディング湖の水精《ウンディネ》を描いた、ベックリンの装飾画を見たことがあるかね。鬱蒼《うっそう》とした樅《もみ》林の底で、氷蝕湖の水が暗く光っているのだ。それが、群青《ぐんじょう》を生《なま》の陶土に溶かし込んだような色で、粘稠《ねっとり》と澱《よど》んでいる。その水面に、※[#「虫+礼のつくり」、第3水準1−91−50]《みずち》の背ではないかと思わせているのが、金色を帯びた美しい頭髪で、それが藻草のように靡《たなび》いているのだよ。けれども熊城君。僕はなにも職業的な観賞家じゃないのだからね、猟館や瘤々した自然橋などを持ち出してまで、君達に瞑想を促《うなが》そうとする魂胆はない。そういう水精《ウンディネ》を男性に変えてしまう段になると、真先に変化の起らねばならぬものが、そもそも何であるか――それを問いたいのだよ」
と法水の顔に微かな紅潮が泛《うか》び上って、五芒星《ペンタグラムマ》の不備を指摘する、メフィストの科白《せりふ》([#ここから割り注]その円に一個所誤謬があったためにその間隙を狙い、メフィストがファウストの鎖呪を破って侵入したのである[#ここで割り注終わり])を口にした。「――とくと見給え。あの印呪は完全に引いてな
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