驍ニ、詰められていた息が一度に吐かれた。そして、昂奮を投げ交すような声でしばらく騒然となっていたが、やがて熊城が、蹴散らすようにして記者達を追い出してしまうと、再びいつものような三人だけの世界に戻った。法水はしばらく凝然《じっ》と考えていたが、稀《めず》らしく紅潮を泛《うか》べた顔を上げて云った。
「ねえ支倉君、とうとう僕は、ある一つの結論に到達したのだ。勿論外包的だよ。全部の公式はとうてい判っちゃいないがね。しかし、個々の出来事からでも、共通した因数《ファクター》を知ることが出来たとしたら、どうだろう」と二人の顔をサッと掠《かす》めた、驚愕《きょうがく》の色に流眄《ながしめ》をくれて、「ところで君は、この事件の疑問一覧表を作ってくれたはずだったね。では、その一箇条一箇条の上に、僕の説を敷衍《ふえん》させてゆくことにしようじゃないか」
検事が固唾《かたず》を嚥《の》みながら、懐中の覚書を取り出した時だった。扉《ドア》が開いて、召使が一通の速達を法水に手渡しした。法水は、その角封を開いて内容を一瞥《いちべつ》したが、格別の表情も泛《うか》べずに、すぐ無言のまま卓上の前方に投げ出した。ところが、それに眼を触れた検事と熊城はたちまちどうにもならない戦慄《せんりつ》に捉えられてしまった。見よ、ファウスト博士から送られた三回目の矢文ではないか! それには、いつものゴソニック文字で、次の文章が認《したた》められてあった。
[#ここから2字下げ]
Salamander soll gluhen
(火精《ザラマンダー》よ、燃えたけれ)
[#ここで字下げ終わり]
[#改丁]
[#ページの左右中央]
第五篇 第三の惨劇
[#改ページ]
一、犯人の名は、リュッツェン役の戦歿者中に
Salamander soll gluhen(火精《ザラマンダー》よ、燃えたけれ)
黒死館を真黒な翼で覆うている眼に見えない悪鬼が、三|度《たび》ファウスト博士を気取って五芒星呪文の一句を送って来た。それには、なにより熊城《くましろ》が、まず云いようのない侮辱を覚えずにはいられなかった。事実、残された四人の家族は熊城の部下によって、さながらゴート式甲冑のように、身動きも出来ぬほど装甲されているのである。それにもかかわらず、不敵きわまりない偏執狂的《マニアック》な実行を宣言して、ダンネベルグ夫人と易介《えきすけ》に続く、三回目の惨劇を予告しているのではないか。そうなると、熊城の作り上げた人間の塁壁が、第一どうなってしまうのであろう。ほとんど犯罪の続行を不可能に思わせるほどの完璧な砦《とりで》でさえも、犯人にとっては、わずか冷笑の塵にすぎないではないか。のみならず、そういう触れれば破滅を意味している、決定的な危険を冒してまでも敢行しようという、恐らく狂ったのでなければ意志に表わせぬような決慮を示しているのであるから、その不敵さに度胆を抜かれた形になってしまって、三人がしばらくの間声を奪われていたのも無理ではなかった。その日は何日目かの快晴だった。和《なご》やかな陽差が、壁面を飾っている「倫敦《ロンドン》大火之図」の下方――ちょうどブリクストン附近に落ちていて、それがしだいにテムズを越えて、一面に黒煙の漲《みなぎ》る、キングスクロスの方へ這い上って行こうとしている。しかしそれに引き換え室内の空気は、打てば金属《かね》のように響くかと思われるほどに緊張しきっていたが、法水《のりみず》は何か成算のあるらしい面持《おももち》で、ゆったりと眼を瞑《と》じ黙想に耽《ふけ》りながらも、絶えず微笑を泛《うか》べ独算気な頷《うなず》きを続けていた。やがて、熊城が無理に力味《りきみ》出したような声を出した。
「僕は真斎じゃないがね。虚妄《うそ》の烽火《のろし》には驚かんよ。あの無分別者の行動も、いよいよこれで終熄《しゅうそく》さ。だって考えて見給え。現在僕の部下は、あの四人の周囲を盾《たて》のように囲んでいる。けれども、その反面の意味が、同時に犯人の行動記録計の役も勤めていることになるんだぜ。ハハハハ法水君、なんという皮肉だろう。もしかしたら、犯人にも護衛を附けてないとも限らんのだからね」
検事は相変らず憂鬱な顔で、熊城の過信に反対の見解を述べた。
「どうして、あの四人をバラバラに離してみたところで、とうていこの惨劇は終りそうもないよ。人間の力では、どうしても止めることが不可能のような気がする。事実僕には、まだ誰か知られてない人物が、黒死館のどこかに潜んでいるような気がしてならないんだ」
「すると君は、ディグスビイが蘭貢《ラングーン》で死んだのではないと云うのか」熊城は眼を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》って、身体を乗り出した。
「とにかく、
前へ
次へ
全175ページ中84ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
小栗 虫太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング