》して、それを、殺人事件の心理試験に異なった形態《かたち》で応用しようとしたのです。云わば、武装を隠した詩の形式でしょうかな。それで、貴方の神経運動を吟味しようと試みたのですが、とうとうその中から、一つの幽霊的な強音《アクセント》を摘み出しましたよ。ところでバーベージ([#ここから割り注]エドマンド・キーン以前の沙翁劇名優[#ここで割り注終わり])は、沙翁《シェークスピア》の作中に律語的な部分、すなわち希臘《ギリシャ》式量的韻律法が多いのを指摘していますね。つまり、一つの長い音節《シラブル》が、量において二つの短い音節《シラブル》に等しいというのが原則で、それに、頭韻《アリテレーション》・尾韻《エンドライム》・強音《アクセント》などを按配した抑揚格《アイアムバス》を作って、詩形に音楽的旋律を生んでいくのです。ですから、一語でもその朗誦法を誤ると、韻律が全部の節にわたって混乱してしまいます。しかし貴方が|三たび《スライス》で逼《つか》えて、それ以後の韻律を失ってしまったのは、けっして偶然の事故ではないのですよ。その一語には、少なくとも匕首《あいくち》くらいの心理的効果があるからなんです。ですから貴方は、それが僕を刺戟するのに気がついたので、すぐに周章《あわ》てふためいて云い直したのでしょう。けれども、その復誦には、今も云った韻律法を無視しなければなりませんでした。それが僕の思う壺だったので、かえって収拾のつかない混乱を招いてしまったのです。と云うのは、thrice《スライス》 を避けて、前節の Ban《バン》 と続けた Banthrice《バンスライス》 が、Banshee《バンシイ》([#ここから割り注]ケルト伝説にある告死婆[#ここで割り注終わり])が変死の門辺に立つとき化けると云う老人――すなわち Banshrice《バンシュライス》 のように響くからなんですよ。ねえ田郷さん、僕が持ち出した|汝真夜中の《ザウ・ミックスチュア・ランク》……の一句には、こういう具合に、二重にも三重にもの陥穽《かんせい》が設けられてあったのです。勿論僕は、貴方がこの事件で、告死老人《バンシュライス》の役割をつとめていたとは思いませんが、しかしその、魔女《ヘカテ》が呪い毒に染んだという|三たび《スライス》は、いったい何事を意味しているでしょうか。ダンネベルグ夫人……易介……そうして三度目は?」
そう云って法水は、しばらく相手を正視していたが、真斎の顔は、しだいに朦朧《もうろう》とした絶望の色に包まれていった。法水は続けて、
「それから僕は、その『ゴンザーゴ殺し』の|三たび《スライス》を再び俎上《そじょう》に載せて、今度は反対に、下降して行く曲線として観察したのです。そして、いよいよその一語に、供述の心理を徹頭徹尾支配している、恐ろしい力があるのを確かめることが出来ました。そのために、ポープの『|髪盗み《レープ・オヴ・ゼ・ロック》』の中で一番道化ている、|異常に空想が働き、男自ら妊れるものと信ずるならん《メン・プルーヴ・ウイズ・チャイルド・アズ・パワーフル・ファンシイ・ウォークス》――を引き出して、毫《ごう》も心中策謀のないのを、貴方に仄《ほの》めかしたのです。ところが、その次句の、|処女は壺になったと思い《エンド・メイド・ターント・ボトルス》、|三たび声を上げて栓を探す《コール・アラウド・フォア・コークス・スライス》――で答えた貴方は、その中に thrice《スライス》 という字があるのをほとんど意識しないかのように、平然としかも、きわめて本格的な朗誦法で口にしているではありませんか。勿論それは、弛緩した心理状態にありがちな盲点現象です。さらに、前後の二つを対比してみると、同じ thrice《スライス》 一字でも、『ゴンザーゴ殺し』に現われているのと『|髪盗み《レープ・オヴ・ゼ・ロック》』のそれとでは、心理的影響において、いちじるしい差異があるのを測ることが出来たのでした。そこで僕は、結論をよりいっそう確実にするために、今度はセレナ夫人から、昨夜この館にいた家族の数を引き出そうと試みました。ところが、僕の云ったゴットフリートの――|吾今ただちに悪魔と一つになるを誰か妨げ得べき《ウァス・ヒエルテ・ミッヒ・ダス・イヒス・ニヒト・ホイテ・トイフェル》――に対して、セレナ夫人は、その次句の――|短剣の刻印に吾身は慄え戦きぬ《ゼッヒ・シュテムペル・シュレッケン・ゲエト・ドゥルヒ・マイン・ゲバイン》――で答えたのです。しかし、何故か sech《ゼッヒ》([#ここから割り注]短剣[#ここで割り注終わり])と云うと狼狽《ろうばい》の色が現われて、しかも、|短剣の刻印《ゼッヒ・シュテムペル》と、頭韻《アリテレーション》を響かせて一つの音節《シラブル》にして云うと
前へ
次へ
全175ページ中75ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
小栗 虫太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング