わ」
「さよう、どのみち三人の血を見ないまでは、この惨劇は終らんでしょうからな」レヴェズ氏は脹れぼったい瞼を戦《おのの》かせて、悲しげに云った。「ところが、儂《わし》どもには課せられている律法《おきて》がありますのでな。それで、この館から災を避けることは不可能なのです」
「その戒律ですが、たぶんお聴かせ願えるでしょうな?」と検事はここぞと突っ込んだが、それをクリヴォフ夫人はやにわに遮って、
「いいえ、私達には、それをお話しする自由はございません。いっそ、そんな無意味な詮索をなさるよりも……」とにわかに激越な調子になり声を慄《ふる》わせて、「ああ、こうして私達は|暗澹たる奈落の中で《プランキング・イン・ジス・ダーク・アビス》、|火焔の海中にあるのです《サファリング・イン・ザ・シー・オブ・ファイア》。それを、貴方は何故そう好奇《ものずき》の眼を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》って、新しい悲劇を待っておられるのでしょう?」と悲痛な声でヤングの詩句を叫ぶのだった。
法水は三人を交互《かわるがわる》に眺めていたが、やがて乗り出すように足を組換え、薄気味悪い微笑が浮び上ると、
「さよう、まさに、|永続、無終《エヴァラスチング・エンド・エヴァ》なんです」と突然、狂ったのではないかと思われるような、言葉を吐いた。「そういう残酷な永遠刑罰を課したというのも、みんな故人の算哲博士なんですよ。たぶん旗太郎さんが云われたことをお聴きでしたでしょうが、博士こそ、|爾を父と呼びつつあるのを得たり気な歓喜をもって瞰視している《ヒイ・イズ・ルッキング・ダウン・フロム・パーフェクト・ブリス・コーリング・ジイ・ファザー》のです」
「マア、お父様が」セレナ夫人は姿勢《かたち》を改めて、法水を見直した。
「そうです。|罪と災の深さを貫き《スルー・オール・デプス・オヴ・シン・アンド・ロッス》、|吾が十字架の測鉛は垂る《ドロップス・ゼ・プラメット・オヴ・マイ・クロッス》――ですからな」と法水が自讃めいた調子でホイッチアを引用すると、クリヴォフ夫人は冷笑を湛えて、
「いいえ、|されど未来の深淵は、その十字架の測り得ざるほどに深し《イエット・フュチャア・アビス・ウォズ・ファウンド・ディバー・ザン・クロッス・クッド・サウンド》――ですわ」と云い返したが、その冷酷な表情が発作的に痙攣《けいれん》を始めて、「ですが、ああきっと、ほどなくしてその男死にたり[#「ほどなくしてその男死にたり」に傍点]――でしょうよ。貴方がたは、易介と伸子さんの二つの事件で、既《とう》に無力を曝露《ばくろ》しているのですからね」
「なるほど」と簡単に頷《うなず》いたが、法水はいよいよ挑戦的にそして辛辣《しんらつ》になった。「しかし、誰にしろ、最後の時間がもう幾許《いくばく》か測ることは不可能でしょうからね。いや、かえって昨夜などは、|かしこ涼し気なる隠れ家に、不思議なるもの覗けるがごとくに見ゆ《シャイント・ドルト・イン・キューレンシャウエルン・アイン・ゼルトザメス・ツ・ラウエルン》――と思うのですが」
「では、その人物は何を見たのでしょうな。儂《わし》はとんとその詩句を知らんのですよ」レヴェズ氏が暗い怯々《おどおど》した調子で問い掛けると、法水は狡《ずる》そうに微笑《ほほえ》んで、
「ところがレヴェズさん、心も黒く夜も黒し、薬も利きて手も冴えたり――なんです。そして、その場所が、折もよし人も無ければ――でした」
と云い出したのは、一見見え透いた鬼面のようでもあり、また、故意に裏面に潜んでいる棘《いばら》のような計謀を、露わに曝《さら》け出したような気がしたけれども、しかし彼の巧妙な朗誦法《エロキューション》は、妙に筋肉が硬ばり、血が凍りつくような不気味な空気を作ってしまった。クリヴォフ夫人は、それまで胸飾りのテュードル薔薇《ローズ》([#ここから割り注]六弁の薔薇[#ここで割り注終わり])を弄《いじ》っていた手を卓上に合わせて、法水に挑み掛るような凝視を送りはじめた。が、その間のなんとなく一抹《いつまつ》の危機を孕《はら》んでいるような沈黙は、戸外で荒れ狂う吹雪《ふぶき》の唸《うな》りを明瞭《はっきり》と聴かせて、いっそう凄愴なものにしてしまった。法水はようやく口を開いた。
「しかし、原文には、|また真昼を野の火花が散らされるばかりに、日の燃ゆるとき《ウント・ミタハス・ウエン・ディ・ゾンネ・グリュート・ダス・ファスト・ディ・ハイデ・フンケン・スプリュート》――とあるのですが、そこは不思議なことに、真昼や明りの中では見えず、夜も、闇でなくては見ることの出来ぬ世界なのです」
「闇に見える※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」レヴェズ氏は警戒を忘れたように反問した。
法水はそれには答えず
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