》で縁取りされた胸衣《ボディス》をつけ、それに肱《ひじ》まで拡がっている白いリンネルの襟布《カラー》、頭にアウグスチン尼僧が被るような純白の頭布《カーチーフ》を頂いている。誰しもその優雅な姿を見たら、この婦人が、ロムブローゾに激情性犯罪の市《まち》と指摘されたところの、南|伊太利《イタリー》ブリンデッシ市の生れとは気づかぬであろう。レヴェズ氏はフロックに灰色のトラウザー、それに翼形《ウイング》カラーをつけ、一番最後に巨体を揺って現われたが、先刻《さっき》礼拝堂で遠望した時とは異なり、こう近接して眺めたところの感じは、むしろ懊悩的で、一見心のどこかに抑止されているものでもあるかのような、ひどく陰鬱気な相貌をした中老紳士だった。そして、この三人は、まるで聖餐祭の行列みたいに、ノタリノタリと歩み入って来るのだった。恐らくこの光景は、もしこの時、綴織《ツルネー》の下った長管喇叭《トロムパ》の音が起って筒長太鼓《ライディング・ティンパニイ》が打ち鳴らされ、静蹕《せいひつ》を報ずる儀仗《ぎじょう》官の声が聴かれたなら、ちょうどそれが、十八世紀ヴュルッテムベルクかケルンテン辺りの、小ぢんまりした宮廷生活を髣髴《ほうふつ》たらしめるものであろうし、また反面には、従えた召使《バトラー》の数に、彼等の病的な恐怖が窺えるのだった。さらに、いま旗太郎との間に交された醜悪な黙闘を考えると、そこに何やら、犯罪動機でも思わせるような、黝《くろず》んだ水が揺ぎ流れるといった気がしないでもなかった。けれども、なによりこの三人には、最初から採証的にも疑義を差し挾む余地はなかったのである。やがて、クリヴォフ夫人は法水の前に立つと、杖《ケーン》の先で卓子《テーブル》を叩き、命ずるような強《きつ》い声音で云った。
「私どもは、して頂きたい事があってまいったのですが」
「と云うと何でしょうか。とにかくお掛け下さい」法水がちょっと躊躇《たじろ》ぎを見せたのは、彼女の命令的な語調ではなかった。遠見でホルバインの、「マーガレット・ワイヤット([#ここから割り注]ヘンリー八世の伝記者、タマス・ワイヤット卿の[#「タマス・ワイヤット卿の」は底本では「タマスワイヤット卿の」]妹[#ここで割り注終わり])の像」に似ていると思われたクリヴォフ夫人の顔が、近づいてみると、まるで種痘痕《ほうそうあと》のような醜い雀斑《そばかす》だったからである。
「実は、テレーズの人形を焚き捨てて頂きたいのです」とクリヴォフ夫人がキッパリ云い切ると、熊城は吃驚《びっくり》して叫んだ。
「なんですと。たかが人形一つを。それは、また何故にです?」
「そりゃ、人形だけなら死物でしょうがね。とにかく、私どもは防衛手段を講ぜねばなりません。つまり、犯人の偶像を破棄して欲しいのです。時に貴方は、レヴェンスチイムの『|迷信と刑事法典《アーベルグラウベ・ウント・フェルブレヒェリッシュ・ローデル(註)》』――をお読みになったことがございまして?」
「では、ジュゼッペ・アルツォのことを仰言《おっしゃ》るのですね」それまで法水は、しきりになにやら沈思げな表情をしていたが、はじめて言葉を挾んだ。

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(註)キプロスの王ピグマリオンに始めて偶像信仰を記したる犯罪に関する中にあり。羅馬《ローマ》人マクネージオと並称さるるジュゼッペ・アルツオは、史上著名なる半陰陽にして、男女二基の彫像を有し、男となる時には女の像を、女としての際には男の像に礼拝するを常とせり。而して詐偽、窃盗、争闘等を事とせしも、一度男の像を破棄さるるに及び、その不思議な二重人格は身体的にも消失せりと伝えらる。
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「まさにそうなのです」とクリヴォフ夫人は得たり顔に頷《うなず》いて、他の二人に椅子を薦《すす》めてから、「私はなんとかして、心理的にだけでも犯人の決行力を鈍らしたいと思うのですわ。次々と起る惨劇を防ぐには、もう貴方がたの力を待ってはおられません」
 それに次いでセレナ夫人が口を開いたけれども、彼女は両手を怯々《おずおず》と胸に組み、むしろ哀願的な態度で云った。
「いいえ、心理的に崇拝物《トーテム》どころの話ですか。あの人形は犯人にとると、それこそグンテル王の英雄([#ここから割り注]ニーベルンゲン譚中、グンテル王の代りに、ブルンヒルト女王と闘ったジーグフリートの事[#ここで割り注終わり])なんでございますからね。今後も重要な犯罪が行われる場合には、きっと犯人は陰険な策謀の中に隠れていて、あのプロヴィンシア人だけが姿を現わすにきまってますわ。だって、易介や伸子さんとは違って、私達は無防禦ではございませんものね。ですから、たとえば遣《や》り損じたにしても、捕えられるのが人形でしたら、また次の機会がないとも限りません
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