突飛な言《げん》を吐いた。
「埃及《エジプト》の大占星家ネクタネブスは、毎年ニイルの氾濫を告げる双魚座《ピスケス》を、※[#「χ」の中央に横棒が入った形(fig1317_13.png)、173−10]でなしに※[#「長方形/三角形」(fig1317_14.png)、173−10]という記号で現わしている。と云うのは、いま君の云った正方形が、いわゆる天馬星《ペガスス》の大正方形であって、天馬座《ペガスス》の鞍星《マルカブ》の外二星にアンドロメダ座のアルフェラッツ星を結び付け、そうして出来る正四角形を指しているからなんだ。そして、この三角琴《プサルテリウム》の筋彫《すじぼり》が三角座《トリアングルム》とすれば、その中央に挾まれた聖像は、天馬座《ペガスス》と三角座《トリアングルム》の間にある、双魚座《ピスケス》[#ルビの「ピスケス」は底本では「ピスセス」]ではないだろうか。ところで、一五二四年にもそれがあって、当時有名な占星数学者ストッフレルが再洪水説を称えたと云うほどで、とにかく三つの外惑星が双魚座《ピスケス》と連結するという天体現象は、大凶災の兆《ちょう》とされているのだ。しかし、凶災を人為的に作ろうとするのが、呪詛じゃないか。ともあれ、これを見給え。実は、先刻《さっき》図書室で見たマクドウネルの梵英辞典に、見なれない蔵書印が捺《お》してあった。しかし、いま考えると、それがディグスビイの印らしいので、それから推すとたぶんこの葬龕《カタファルコ》も、あの男の奇異《ふしぎ》な趣味と、病的な性格を語るものに相違ないのだよ」
と法水が、聖像の周囲《ぐるり》にある雪を払い退《の》けると、鍛鉄の十字架から浮び上った痛ましい全身には、みるみる不思議な変化が現われていった。それは、あるいは彼が魔法を使ったのではないかと疑われたほどに、よもや人間の世界にあろうとは思われぬ奇怪な符号だった。磔身《たくしん》の頭から爪尖《つまさき》までが、白く※[#底本が「ラン」とルビを付した梵字(fig1317_15.png)、174−7]《ラン》形で残されてしまったからだ。しかし、法水は静かに、聖像から変化した不可解な記号の事を説きはじめた。
「ねえ支倉君、黒呪術《ブラックマジック》は異教と基督《キリスト》教を繋ぐ連字符である――とボードレールが云うじゃないか。まさしくこれは、調伏《ちょうぶく》呪語に使う梵語の※[#底本が「ラン」とルビを付した梵字(fig1317_15.png)、174−10]《ラン》の字なんだよ。また、三角琴《プサルテリウム》の※[#「×」の中央よりやや上方に横棒(fig1317_16.png)、174−10]に似た形は、呪詛調伏《アビチャーラカ》の黒色三角炉に、欠いてはならぬ積柴法形《せきさいほうがた》なのだ。チルダースの『呪法僧《アンギラス》』の中に、不空羂索神変真言経《ふくうけんじゃくじんべんしんごんぎょう》の解釈が載っているが、それによると、※[#底本が「ラン」とルビを付した梵字(fig1317_15.png)、174−12]《ラン》は、火壇《かだん》に火天を招く金剛火だ。その字片を※[#「×」の中央よりやや上方に横棒(fig1317_16.png)、174−13]の形に積んだ柴《しば》の下に置いて、それに火を点じ、白夜珠吠陀《シュクラ・ヤジュル・ヴェーダ》の呪文|※[#底本が「オム」とルビを付した梵字(fig1317_17.png)、174−13]《オム》※[#底本が「ア」とルビを付した梵字(fig1317_18.png)、174−13]《ア》※[#底本が「ギア」とルビを付した梵字(fig1317_19.png)、174−13]《ギァ》※[#底本が「ナウ」とルビを付した梵字(fig1317_20.png)、174−13]《ナウ》※[#底本が「エイ」とルビを付した梵字(fig1317_21.png)、174−13]《エイ》※[#底本が「ソワ」とルビを付した梵字(fig1317_22.png)、174−14]《ソワ》※[#底本が「カ」とルビを付した梵字(fig1317_23.png)、174−14]《カ》を唱えると、千古の大史詩『摩訶婆羅多《マハーバーラタ》』の中に現われる毘沙門天《ヴァイシュラヴァナ》の四大鬼将――乾闥婆大刀軍将《げんだつばだいりきぐんしょう》・大竜衆《たつちむーか》・鳩槃荼大臣大将《くばんだだいじんたいしょう》・北方薬叉鬼将の四鬼神が、秘かに毘沙門天《ヴィシュラヴァナ》の統率を脱し来り、また、史詩『羅摩衍那《ラーマーヤナ》』の中に現われる羅刹《らせつ》羅縛拏《ラーヴァナ》も、十の頭《かしら》を振り立て、悪逆火天となって招かれると云うのだ。だから、僕がもし仏教秘密文学の耽溺《たんでき》者だとしたら、毎夜この墓※[#「
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