穴かんむり/石」、174−17]では、眼に見えない符号呪術の火が焚《た》かれていて、黒死館の櫓楼の上を彷徨《ほうこう》する、黒い陰風がある――と結論しなければならないだろう。しかし、とうてい僕には、それを一片の心霊分析としか解釈できない。そして、ディグスビイという神秘的な性格を持つ男が、生前抱いていた意志である――という推断だけに止めておきたいのだ。何故なら熊城君、すでに僕は危険を悟って、心理学の著述などは、ロッジの『レイモンド』ボルマンの『蘇格蘭人《デル・スコッテ》ホーム』の改訂版以後は読まないのだし、また、『妖異評論《オカルト・レヴュー》』の全冊を焼き捨ててしまったほどだからね」
 最後に至って、法水は鉄のような唯物主義者の本領を発揮した。けれども、彼の張りきった絃線のような神経に触れるものは、たちどころに、その場去らず類推の花弁となって開いてしまうのだ。わずか一つの弱音器記号からでも、当の館の人々にさえ顔相《かおかたち》すら知られていない、故人クロード・ディグスビイの驚くべき心理を曝《さら》け出したのであった。それから、法水等は墓地を出て、風雪の中を本館の方に歩んで行ったが、こうして、捜査は夜になるも続行されて、いよいよ、黒死館における神秘の核心をなすと云われる、三人の異国楽人と対決することになった。

      三、莫迦《ばか》、ミュンスターベルヒ!

 一同が再び旧《もと》の室《へや》に戻ると、法水はさっそく真斎を呼ぶように命じた。間もなく、足萎《あしなえ》の老人は四輪車を駆ってやって来たが、以前の生気はどこへやらで、先刻うけた呵責《かしゃく》のため顔は泥色に浮腫《むく》んでいて、まるで別人としか思われぬような憔悴《やつ》れ方だった。この老史学家は指を神経的に慄《ふる》わせ、どことなく憂色を湛えていて、明らかに再度の喚問を忌怖《きふ》するの情を示していた。法水は自分から残酷な生理拷問を課したにかかわらず、空々しく容体を見舞った後で、きりだした。
「実は田郷さん、僕には、この事件が起らない以前から知りたい事があったのですよ。と云うのは、殺されたダンネベルグ夫人をはじめ四人の異国人に関する事なんですが、いったいどうして算哲博士は、あの人達を幼少の頃から養わねばならなかったのでしょうか?」
「それが判れば」と真斎はホッと安堵《あんど》の色を泛《うか》べたが、先刻とは異なり率直な陳述を始めた。「この館が、世間から化物屋敷のようには云われませんじゃろう。御承知かもしれませんが、あの四人の方々は、まだ乳離れもせぬ揺籃の頃、それぞれ本国にいる算哲様の友人の方々から送られてまいったそうです。しかし、日本に着いてからの四十年余りの間と云うものは、確かに美衣美食と高い教程でもって育《はぐく》まれていったのですから、外見だけでは、十分宮廷生活と申せましょう。ですが、儂《わし》にはそう申すよりも、むしろそういう高貴な壁で繞《めぐ》らされた、牢獄と云った方が適《ふさ》わしいような感じがしますのじゃ。ちょうどそれが、「ハイムスクリングラ]([#ここから割り注]オーディン神より創まっている古代諾威王歴代記[#ここで割り注終わり])」にある、僧正テオリディアルの執事そっくりじゃ。あの当時の日払租税のために、一生金勘定をし続けたと云うザエクス爺《おやじ》と同様、あの四人の方々も、この構内から一歩の外出すら許されていなかったのです。それでも、永年の慣習《しきたり》というものは恐ろしいもので、かえって御当人達には、人に接するのを嫌う――いわば厭人《えんじん》とでも云うような傾向が強くなってまいりました。年に一度の演奏会でさえも、招かれた批評家達には、演奏台の上から目礼するのみのことで、演奏が終れば、サッサと自室に引っ込んでしまうといった風なのでした。ですから、あの方々が、何故揺籃のうちにこの館に連れて来られ、そうして鉄の籠の中で、老いの始まるまで過さねばならなかったかということは、もう今日では、過ぎ去った古話《ザガ》にすぎません。ただそういった記録だけを残したままで、算哲様は、そっくりの秘密を墓場の中へ運ばれてしまうのです」
「ああ、ロエブみたいなことを……」と法水は、道化《おどけ》たような嘆息をしたが、「いま貴方は、あの人達の厭人癖を植物向転性《トロピズム》みたいにお考えでしたね。しかし、たぶんそれは、単位の悲劇なんでしょう」
「単位? 無論|四重奏《クワルテット》団としては、一団をなしておられたでしょうが」と真斎は単位と云った法水の言葉に、深遠な意義が潜んでいるのを知らなかった。「ところで、あの方々とお会いになられましたかな。どなたも冷厳なストイシャンです。よしんば傲慢《ごうまん》や冷酷はあっても、あれほど整美された人格が、真性の孤独以外に求められ
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