工で驚くべき殺人者[#ここで割り注終わり])が、カルドナツォ家のパルミエリ([#ここから割り注]ロムバルジヤ第一の大剣客[#ここで割り注終わり])を斃《たお》したという事蹟を御存じでしょうが、腕で劣ったチェリニは、最初|敷物《カーペット》を弛ませて置いて、中途でそれをピインと張らせ、パルミエリが足許を奪われて蹌踉《よろめ》くところを刺殺したのでした。しかし、算哲を斃すためには、その敷物を応用した文芸復興期《ルネサンス》の剣技が、けっして一場の伝奇《ロマーン》ではなかったのです。つまり、内惑星軌道半径の縮伸というのは、要するに貴方が行《おこな》った、敷物《カーペット》のそれにすぎなかったのですよ。さて、犯行の実際を説明しますかな」と云ってから、法水は検事と熊城に詰責《きっせき》気味な視線を向けた。「だいたい何故扉の浮彫を見ても、君達は、傴僂《せむし》の眼が窪んでいるのに気がつかなかったのだね」
「なるほど、楕円形に凹んでいる」熊城はすぐ立って行って扉を調べたが、はたして法水の云うとおりだった。法水はそれを聴くと、会心の笑《えみ》を真斎に向けて、
「ねえ田郷さん、その窪んでいる位置が、ちょうど博士の心臓の辺に当りはしませんか。それが、楕円形をしているのですから、護符刀の束頭《つかがしら》であることは一目瞭然たるものです。そうなると、当然天寿を楽しむよりほかに自殺の動機など何一つなく、おまけにその日は、愛人の人形を抱いて若かった日の憶い出に耽《ふけ》ろうとしたほどの博士が、何故|扉際《とぎわ》に押し付けられて、心臓を貫いていたのでしょう」
 真斎は声を発することはおろか、依然たる症状を続けて、気力がまさに尽きなんとしていた。蝋白色に変った顔面からは膏《あぶら》のような汗が滴り落ち、とうてい正視に耐えぬ惨めさだった。ところが、それにもかかわらず法水は、この残忍な追求をいっかな止めようとはしなかった。
「ところで、ここに奇妙な逆説《パラドックス》があるのです。その殺人が、かえって五体の完全な人間には不可能なんですよ。何故なら、ほとんど音の立たない、手働四輪車の機械力が必要だったからで、それがまず、敷物《カーペット》に波を作って縮め重ねてゆき、終いには、博士を扉に激突させたからでした。何分にも、当時|室《へや》は闇に近い薄明りで、右側の帷幕《とばり》の蔭に貴方が隠れていたのも知らずに、博士は帷幕の左側を排して、召使が運び入れて置いた人形を寝台の上で見、それから、鍵を下しに扉の方へ向ったのでしょう。ところが、それを追うて、貴方の犯行が始まったのでしたね。まずそれ以前に、敷物の向う端を鋲《びょう》で止め、人形の着衣から護符刀《タリズマン》を抜いておく――そしていよいよ博士が背後を見せると、敷物《カーペット》の端をもたげて、縦にした部分を足台で押して速力を加えたので、敷物《カーペット》には皺《しわ》が作られ、勿論その波はしだいに高さを加えたのです。そして、背後から足台を、博士の膝膕窩《ひかがみ》に衝突させる。と、波が横から潰されて、ほとんど腋下に及ぶほどの高さになってしまう。と同時に、いわゆるイエンドラシック反射が起って、その部分に加えられた衝撃が、上膊筋に伝導して反射運動を起すのですから、当然博士は、無意識裡に両腕を水平に上げる。その両脇から博士を後様《うしろざま》に抱えて、右手に持った護符刀《タリズマン》を心臓の上に軽く突き立て、すぐにその手を離してしまう。と、博士は思わず反射的に短剣を握ろうとするので、間髪の間《あいだ》に二つの手が入れ代って、今度は博士が束《つか》を握ってしまう。そして、その瞬後扉に衝突して、自分が束を握った刃が心臓を貫く。つまり、高齢で歩行の遅《のろ》い博士に、敷物《カーペット》に波を作りながら音響を立てずして追い付ける速力と、その機械的な圧進力――。それから、束を握らせるために、両腕を自由にしておかねばならないので、何よりまず膝膕窩《ひかがみ》を刺戟して、イエンドラシック反射を起さねばならない――。そういうすべての要素を具備しているのが、この手働四輪車でして、その犯行は寸秒の間に、声を立てる間《ま》がなかったほど恐ろしい速度で行われたのでした。ですから、貴方の不具な部分をもってせずには、誰一人博士に、自殺の証跡を残して、息の根を止めることは不可能だったのですよ」
「すると、敷物《カーペット》の波は何のためだい」熊城が横合から訊ねた。
「それが、内惑星軌道半径の縮伸じゃないか。いったん点《ピリオド》にまで縮んだものを、今度は波の頂点に博士の頸《くび》を合わせて、敷物《カーペット》を旧《もと》どおりに伸ばしていったのだ。だから、束《つか》を握り締めたままで、博士の死体は室《へや》の中央に来てしまったのだよ。勿論、空室《あ
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