うだい熊城君、君はこの理論が判るかね。つまり、この事件を解く鍵と云うのが、二つの装置を結び付ける歯車の構造にあるのだがね。また、その中に、僕等の想像さえも付かないような、不思議な兇器が隠されていると云う訳さ」そう云い終ると、急に法水は力のない吐息をついて、
「だが、そこで問題なのは、絶命と同時に果して強直が起ったかどうかなんだよ。支倉君は強直前に犯人の手が加わったのではないかと云うけれども、僕には強直が同時でないと、屍体の合掌を説明する方法が全く尽きてしまうのだ」
熊城は晦渋な霧のようなものに打たれて沈黙したが、検事は懐疑的な眼を見据えて、
「それで、僕はあれが気になるんだよ。ホラ、像の頭から右斜かい上に五寸程の所と、左右の板壁に二つと――それを直線で結び付けると恰度屍体の頸筋辺で結び付くんだが――節穴が三つあるだろう。元より作ったものじゃないけれども、あんな所から、非常に単純な仕組で、それでいて効果の素晴らしい、何か弛緩整形装置とでも云いたいものを、犯人は考案したのではないだろうか。勿論|現在《いま》の所では空想に過ぎないのだが、実際もし強直がすぐ起っていなかったとすると、そう云ったものを当然欠いてはならないと思うよ」
「ウン、僕も先刻から気が付いているのだ。おまけに、どの孔の前にも蜘蛛の巣が破れている」法水は鳥渡当惑の色を泛べて云ったが、その顔をクルッと熊城に向けて、
「関係者を訊問して何か収穫があったかね」
「所が、動機らしいものを持った人物が一人もいない始末だが、その代り、どれもこれも、一目で強烈な印象をうける――宛然《まるで》仮面舞踏会なんだよ。然し、そう云う連中が、神経病患者の行列ではなくて、真実芝居しているのだとすると、その複雑さは君でも到底読み切れまいと思うがね。とにかく訊問してみ給え。恰度今し方、この傷口にピッタリと合う彫刻用の鏨が、同居人の厨川朔郎《くりやがわさくお》と云う洋画学生の室で発見された所なんだ」
一同は本堂に向ったが、その途中、瀝青色をした大池の彼方に、裏手の雫石家の二階が倒影している。本堂の左端にある格子扉をあけると、四坪程の土間から黒光りした板敷に続き、次の陰気な茶の間を通って、廻り縁から渡り廊下で連なっているのが、厨川朔郎の室である。
然し其処には、不似合に大きな柱時計と画布《カンバス》や洋画道具の外に、蔵書と蓋の蝶番が壊れた携帯蓄音機《ポータブル》があるだけで、朔郎はこの室を捜索するために、柳江の書斎に移されていた。柳江の書斎は、茶の間から廻り縁に出ず、左折して廊下を少し行った所のドン詰まりの室で、その塀向うが寺男の浪貝久八の台所になっていて、朔郎の室とは小庭を隔てて平行している。また、その廊下は、廻り縁になる角から幾つもの室の間を貫通して、本堂の僧侶出入口で行詰まっていた。つまりどの室からも直接廊下伝いに来られるのだが、昨日から今日にかけて非常に気温が低いので、障子の間は真冬のように隙がなかった。
二人の私服に挾まれて、画室《アトリエ》衣の青年が黙然と莨《たばこ》を喫らしている。――それが厨川朔郎だった。二十四、五で美術学生らしい頭髪をし、整った貴族的な容貌の青年だが、肩から下には、炭坑夫とも見擬うような、隆々たる肉線が現われていた。
彼は法水を見ると、莞爾《にこ》っと微笑んで、
「ヤア、漸と助かりましたよ。実は、法水さんの御出馬を千秋の思いで待ち焦がれていた所なんです。全く熊城さんの無茶な推定にはやり切れません。鏨が一本発見された位の事や、僕の室の窓外にある裏木戸から薬師堂の前へ直接出られる位の事で、僕を犯人に擬すると云う始末ですからね。それに、鏨と云われて探してみると、もう一本あったのが何時の間にか紛失しているのですが、それをどんなに述べ立てても、僕を少しも信用してくれないのですからね。では、昨夜の行動を申上げましょうか」と云って、――四時に学校から戻って、それから室でゴーガンの伝記を読んでいて、七時に夕食に呼ばれ、九時頃蒟蒻閻魔の縁日に出掛けて十時過ぎに帰宅したと云う旨を、要領よく述べ立てた。その堂々たる弁説《エロキューション》と容疑者とは思われぬ明朗さには、一同の度胆を抜くものがあった。
その間法水は外方《そっぽ》を向いて、この室の異様な装飾を眺めていた。今入った板戸の上の長押には、土蜘蛛に扮した梅幸の大羽子板が掲っていて、振り上げた押絵の右手からは、十本程の銀色の蜘蛛糸が斜に扇形となって拡がって行き、末端を横手の円い柱時計の下にある、格子窓の裾に結び付けてあった。
「ハハァ、鉄輪の俥があった頃の趣味だね」と法水は初めて朔郎に声を掛けた。
「ええ、奥さんと云う方は、古風な大店の御新造《ごしんぞ》さんと云った型《タイプ》の人ですからね。それに、これは去年の暮私が頼まれ
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