育を受けた、学校だけはお話しましょう。
 それは、印度《インド》の北西部カシュミールの首都、スリナガールにあるブリスコー氏の学校というのです。ここには、印度教徒も回教徒もキリスト教徒も、すべてこの地方の上流の子弟があつまるのです。
 聴いて御覧なさい。Tyndal−Briscoe's School《ティンダル・ブリスコーズ・スクール》 といえば、たいていのものは知っています。
 で、そこの、教程を終えてから何をしたかというと、まず助教師、そして最近は、校主の知己のヘミングウェー嬢が、本土から来られたについて案内役となりました。
 その、ミス・ロバータ・ヘミングウェーは、財団の有力者である国璽尚書《こくじしょうしょ》の令嬢です。まだ二十二か三くらいでしょう。匂いはないかわりに、清純な線があります。
 ところが、方々見歩いてこの町に来たとき、偶然ガンディの示威運動が起ったのでした。町は、兵士の発砲以来、廃墟のようになりました。雨が降る、汗が蒸し暑さに腐るように匂う――、事の起りはそういう晩だったのです。
 そうそう、宿は「|神主」館《ラジュラーナ》でしたよ。そして僕は、そのときヘミングウェー嬢の部屋にいました。外は、ザクザクガチャガチャという音で巡邏《じゅんら》が絶えません。しかし僕は、地図を見ながら、南行のスケデュールを組んでいました。と、隣りから、湯のはねる媚《なま》めかしい音がする。いま、ミス・ヘミングウェーが御入浴中なのです。
 するとそこから、
「パドミーニ、パドミーニや」
 とお呼びになる声がします。
 尻あがりの、声を聴いただけでも一人娘の、びりびり蟲のつよいところが触れてくる。
 しかし、下婢のパドミーニはここには居りません。私は、なんと入浴中のレディにお答えしていいものかと、惑っているうちに、二度目のお声です。
「パドミーニ、パドミーニはいるんじゃないの、そこに。駄目よ、黙って、拗《す》ねていたって、ちゃんと分るんだから……」
 と、湯の面にぴしゃりと何かを叩きつけたらしいのです。
「パドミーニ、パドミーニってば……」
 そういって、ミス・ヘミングウェーはしばらくのあいだ、耳を澄ますようにじっと湯の音をさせませんでした。
「じゃ誰よ、そこにいんのは? さっきから、かさこそ音をさせていて、給仕《ボーイ》?」
「いや、僕です。パドミーニは、さっきからここには居りません」
「ああ、なんだ、チャンドさんか」
 しかし私は、爽やかな、処女を粧《いろど》るさまざまな香りに、こう隣ったことを、たいへん有難く思いました。
 とやがて、
「チャンドさん」
 と羞《はじ》らったような声で、
「ちょっと、あんたにお願いがあるんだけど、……実はパドミーニがいないんで、お願いするんだけど……、そこにある、三角海綿《ルーファ》をここへ持ってきてくれない?」
 とたんに、私は、ぱちぱちっと瞬きました。ゆらゆら、鍵穴を洩れる湯気が、肢体のように妖《あや》しく見えます。
「でも……」と、やっと返辞はしたが、子供のような答えです。すると、ヘミングウェー嬢は、
「アラ、厭なの。じゃ、何かそこでしていんじゃない? 抽斗《ひきだし》や、下着入れを覗いているんだったら、今のうちに蔵《しま》うことよ……」
 やがて私は、パドミーニが出しわすれていた三角スポンジを手に、把手《ノッブ》をやんわりとひねっていました。が、実のところは、動作に現われているような、そんな落着きはないのです。
(なにを……ミス・ヘミングウェーのこれは、意味するのだろう。処女が、娘の媚態ともいう羞恥心を捨ててまで、自分に、浴室に入れとは、戯れだけと云えないことだ。)
 と、妙な自負心に、私はからだ中浮いてしまったように……ああ、|Mr. O'Grie《ミスター・オーグリー》[#「Mr. O'Grie」は底本では「Mr. O,Grie」]、嗤《わら》いますね。が、それも、あなたはミス・ヘミングウェーを知らないからです。
 つぶらな瞳《ひとみ》、弾力のあるふっくらとした頬《ほほ》、顔もからだも、ほどよく締っていて、弾《はず》みだしそうです。
 神品ですよ。触れようとしても出来ぬものはことごとく神品です。
 私は……だが、いかなる場合でも、ブリスコーの生徒でした。
「じゃ、ここへ置きますから」
「そう。有難う。でも、ちょっとの間《ま》なら、ここにいてもいいわ」
 私の、そのときの驚きは何ものに例えようもありません。しかし、ミス・ヘミングウェーは、続けさまに云うのです。
「どう私、頭のほうもそう悪かァないでしょう。湯気で、あんたの眼鏡が曇って、なにも見えないのを知ってるんだから。見えて? ……私が、いま、どんなことをしているか」
 と、はげしい湯の音がして飛沫《しぶき》がかかると、淡紅色《ときいろ》
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