フ、暈《ぼ》やっとした塊りが、眼前の靄《もや》のなかにあらわれました。
揺れる、くねる。
私は、咽喉《のど》がからからになって自分の喘《あえ》ぎが、ガンガン鳴る耳のなかへ響いてきます。
「では御ゆるり」
私は、やっと咽喉をうるおし、これだけを云いました。すると、ヘミングウェー嬢は、
「マア、あんた、あんたは割と世帯染みてんのね」
そう云って、くすんとお笑いになったようです。が、その頃から、鏡玉《レンズ》が室《へや》の温度に馴れ、やっと靄が霽《は》れはじめてきました。と、灌水《シャワー》のひらいた、夕立のような音がする。
それも、湯のほうが捻《ひね》られて、もうもうと立ち罩《こ》めてくる。せっかくの、喘ぐような瞬間がまた旧《もと》へ戻ってしまったのです。
「お気の毒さまね」
ミス・ヘミングウェーが、嘲るように云いました。
「なにがです」
「知っているくせに。……もっと黒檀紳士は、明けっ放しの人かと思っていたわ。つまり、四十|碼《ヤード》スクラムからスリークォーター・パスになって、それを、私がカットして好|蹴《キック》をタッチに蹴出す。一挙これじゃ、三十|碼《ヤード》挽回ね」
「分りませんね。何です、それは」
「分らないの、マアいいわ。いいから、出てないと水を引っかけるわよ」
私はさんざんに翻弄され、それでも、若葉を嗅ぐような、爽《さや》けい匂いをつけて戻ってきました。
それから、部屋へ戻って寝台にころがっているうちに私は、四肢五体を揉みほごされるように狂わしくなってきたのです。
(なんのためだ……なんのために僕を浴室なんかへ呼んだのだ?)
それは、あるいはミス・ヘミングウェーの気紛れかもしれないが、いちがいにそう云い切ってしまうには、あまりに、奔騰的だ、噴油だ。鬱積しているものが悶《もだ》え出ようとしているのか。
(ふむ、よくあることだ。よく、青葉病といって、急に憂鬱になるか、それとも、見境いなく齧《かじ》りつくような、亢進症《ニムフォマニー》になるか――。とにかくあれは、殻を割りたくても、割り得ない悩みなんだ。あの娘は、心のなかじゃ充分熟れ切っている。そこへ、破ろうとしても、させないような潔癖さがあるのだ。そうだ、たしかに処女性の病的なものがある。)
と、決めてしまうのも、独り合点でしょうか。分りません※[#感嘆符疑問符、1−8−78] ミス・ヘミングウェーと、私とのあいだには人種の壁がある。そしてこれも、一夜のほんの戯れだけでしょうか。
私は、そうして右せんか左せんかと悩み、奇怪な謎を投げかけたヘミングウェー嬢の行為を思いあぐみ惑乱に悶えておりました。
ああ、O'Grie《オーグリー》、あなたは、それからの私をお嗤《わら》いになるでしょう。暇さえあれば、留守を狙ってヘミングウェー嬢の部屋へ忍び込み、部屋に残っている薫香《かおり》に鼻をうごめかしたものです。O'Grie All is glowing, burning, trembling.
馬鹿です。しかし天はこの馬鹿に恵み給うたのか、翌日も雨、その次も雨、しかも暴動の気配が絶えず、ときどき銃声がする。風もない、ただ雨が滝のように地を打っている。
ところで、その日からはじまる八日のあいだが、カリーの女神を祭る精進日となるのです。
水浴をし、あらゆる慾望を絶ち、子羊を犠牲にする。そしてもって、破壊の女神カリーをお慰め申しあげるのです。けれど、いまここでは祭典どころではない。雨に暴動、加えて湯気のようなおそろしい湿気です。
しかしそうした時、ごろごろ懶《だる》いままに転がっている姿は、だんだん心も獣のようなそれと同じになるのではないでしょうか。
私も、自分ながら、理性を失わんとしているのが分ります。やがて、暗い空がいっそう暗くなり、雨脚も消え、煮られるような夜となりました。
ところが、その夜ヘミングウェー嬢に、神経痛の発作が起りました。前年、ポロの競技中落馬が原因で、その後は、暑さ寒さにつれ、右肩が痛むのです。それでパドミーニと交代に、患部の湿布をかえておりました。甲斐甲斐しく、腕まくりしてギュッとタオルを絞る、すべてが、われながら驚くほどマメ[#「マメ」に傍点]だったのです。とその時、通りをザッザッっと、靴音でない一群が通ってゆく。
「アッ、あれ、きっと何だわ」
「なるほど」
「あらッ、私まだなんにも云ってないのに……」
私は、ときどき失敗をやってはぎゅうぎゅうな目に逢わされ、それが久しく外道《げどう》的な快楽となっているのです。いま私は、右手でタオルを抑えながら、左手は、ミス・ヘミングウェーの莨《たばこ》に灰受けを捧げている。
ああ、いかに場合とはいえブリスコーの生徒が、落ちたにも百面相とはなったものです。
「ああ、そうか」
私は、ポン
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